彼女と初めて会ったのは病院の待合室だった。壁や床の神経質な白のせいか空気まで刺すような鋭さのその部屋で、彼女は「私は全世界に傷つけられた」って風な眼差しで私を睨んで泣いていた。そして私は私が私である事にすっかり疲れ果てていた。
私はそろそろと彼女に近寄って、ポケットから出したキャラメルを差し出した。その時私は、あなたを傷つけたのはあなたの敵で、私を傷つけたのは私の敵で、私が世界を所有しないように、世界は私を所有しない。私の愛は私の物で、他の誰のものでも(愛する相手のものですら)ない。それはあなたもきっとそうなのだ、と言ってあげたかったけども、現実の私の口からこぼれたのは「食べる?」の一言だった。
彼女がキャラメルを受け取った時、私が願ったのは彼女の腕力だった。彼女はこのクズって言って私をくびり殺すだろう。どうか許さないでくれよと、乞うようなこころもちで彼女と目を合わせた。鳥が空の高いところを風に流されながら飛んでいくように、誕生日の女の子がロウソクを消したケーキが切り分けられるのを心待ちに眺めるように、左折する車が横断歩道を親子が渡っていくのを親しげに待つように、静かに彼女の腕力が行使されるのを待っているその間、心臓から冷たいものがどくどくと溢れ出るのを感じた。私は、私のしなかったことの、なにもかもでない。私が私でしかあれないなら私は私を蔑みたくだってなるだろう。だから、私が願うのは彼女の腕力のみだった。
彼女の腕は青白く細かった。紺色の脈がうっすら手首に浮いていて魂の色を思わせた。彼女は私の袖をつかんでそれで涙を拭いて「ありがとう」と言った。私は許されていた。私は許されたくはなかった。私が誕生日のケーキにフォークを刺した瞬間に恋人にナイフを刺したひとが、十年後に横断歩道の向こう側で私を睨んでいて、信号が青になってすれ違いざまその手に持ったナイフで私を刺す。それが私の欲望だった。しかしそんな欲望を叶えてくれるひとはどこにもいなかった。私は憎まれてさえいないのだった。願うのは私。ねだっているのはいつも私だった。私が願うべきはいつも私自身だった。
甘い眩暈に誘われて彼女の隣にはんば崩れるように座る。絶望が強すぎると、それを陶酔に勘違いするような自己防衛機能が脳には備わっているようで、その時私はすっかりうっとりした心もちだった。大げさな勢いで腰を下ろした私に驚いた彼女は、映画の場面を真似たようなまばたきをした後、しばらく私の顔を見なかった。彼女がありがとうの次の一言を発するまで、私たちは無言のまま無限の時間(2分くらい)をいたずらにすりつぶした。無限の時間の後に、ボソ、ボソと彼女のひび割れた唇からこぼれ出た言葉は、次第にその勢いを増していった。私がそれをじっと聞いていると、そのうちそれは笑いながら泣くような、泣きながら笑うような、そのどちらでもないようなしゃべり方にに変わった。彼女は2時間くらいかけて彼女自身の話をしてくれた。彼女は私に似ていたし、私とは全然違っていた。彼女は、頭が壊れちゃっておかしくなっちゃってアーテスティックなカッコいい彼氏彼女の仲間入りをしたいと長年夢見ていて、かといってそのためにできることといったら、軽薄で心の弱い男の子になぐられたり、コンビニで買ったコクヨ製のカッターで腕にバーコードみたいな傷を作ったり、咳止めの錠剤を毎日168錠飲む事くらいだった。一瓶84錠入りをきっちり二瓶が彼女の日課だった。白い糖衣の錠剤は口に含むだけで気持ち悪くなるような甘さで「キャラメルの甘さとは全然違う」と言って彼女は笑った。
何故だか知らないけどどこからどうみても才能に溢れているような人間はたくさんいて、私は悔しくてたまらないのだけど、しかしどうしてもそうはなれないし、頭おかしいフリしても誰も騙されてくれなかった。彼女も私も、それは同じだった。待合室に私たち二人以外誰もいなくなると、看護婦さんさが暖かいココアをご馳走してくれた。マグカップのココアが空になる頃には私たち二人は下の名前で呼び合っていた。
帰り道、川沿いの道を二人で歩きながら夜の冷気に乗せて遠くから響くサイレンの音を聞いていた。空気が冷たいと、いつもより遠くまで音が届くんだと誰かが言っていたのを思い出す。冬の夜だった。冷たい信号機に額をこすりつけるような冬の新月の夜だった。眼球や唇のわずかな水分が刻一刻と夜に浸食されていくのが分かるこんな夜には銃を打ちたいし、誰かの発砲に死にたい。なにがどこまで嘘だったとしても、死んだふりくらいは許されるだろう。愛の言葉はあるだろうか。凍えた街でいまだに信じられるような。過去についての百の質問に百の嘘でこたえる午後を過ぎ、たどりついた静かな街。平和を愛する小さな夜。遠い過去の誰かがくれた優しさは、この街までは届くだろうか。