私が子供の頃から弟の誕生日は覚えているのに、私の誕生日は忘れやすい母。淋しかったり悲しかったり悔しかったりで、わざと母が気付かないのを見過ごしてふて腐れたり泣いたりもした。


昨日は母との面会日。『またお母さん、文子の誕生日忘れてた。◎(弟)も一緒にハッピーバースデーを唄いましょう』と施設の会議室でテレビ電話をしている弟と母が歌ってくれた。


先月は弟の誕生日で母と私と歌っていたけれど、私のために歌ってくれる母を見たら嬉しくて涙が止まらなかった。弟はプレゼントなくてゴメン。母は覚えてなくてゴメンと言われたけれど。


『お母さんがどんなに酷いこと言っても、お姉ちゃんは文句1つ言わず前向きな言葉をかけてくれるのよ』と言われた後だった事もあり、私の目の前にいる母は会話が出来ない時もあったけれど、ちゃんと私を見てくれていた。


それが何より嬉しくて、隣に母が笑っていてくれる事があったかくて。お母さんがこうして隣にいてくれる事が、何より嬉しいと声に出せていたかな。




このまま穏やかな時間が、ただただ続いてくれたらと願わずにはいられなかった。母の笑顔や歌声を心の大事な場所に置きつつ、私は私の人生を生きる。


幸せは非日常ではなく、日常にある何気ない事だと気づいた53歳春。


#母が隣で笑ってくれる幸せ #私の母でいてくれてありがとう #離れていても大事な家族


今回こそは厳しい状況に腹をくくり、母の希望通り入院も点滴もしないと決めたその後。

31kgまで体重が落ちても、おは腹が空いたという母。何かしら口にしたいと思う物はないか母に尋ねると「柔らかい食パンが食べたい」とパン屋さんのミルク食パンから口にした。


施設から提供される食事はほとんど口にしなくても、母からのリクエストを聞きながら、サンドイッチ→カステラ→シチュー→うどんと会議室で距離を取り一緒に食べた。


面会が窓越しになってからは、私が作った物ならと週に2回母に差し入れを私のために続けている。現在は36kgまで体重が戻っているそう。

看取りまで考えて、準備をしようとしていた私。一喜一憂や過度な期待で動くより、慎重に母の様子を見ながら動いていたのが母に伝わったかは不明。

今週に入って施設より連絡があり発熱→抗原で陽性が出たらしい。半年前までは母に熱が出ると私が不安で眠れなくなったりもしたけれど… いつ何があってもおかしくない状況に覚悟を決めたからか、動揺もなく済んでいる。

私の良かれで動いていた時には何も変わらず、母がどうして食べないのか何が食べたいか?を聴いて、味や食感も一緒に確認出来たからの今。

先週の窓越し面会で切り干し大根が美味しかった、煮物は大きかった、小松菜が固かったと伝える母がいた。

隠し包丁を入れたり大きさや食感や色をバランス良くするのは手間がかかるけど、最近は半分まで食べられる様になっているそう。

会議室で食事を一緒に取れる日も遠くはなく、差し入れのみを続ける事は私が元気であれば可能。

前職では時間が不規則で簡単に済ませる食事も多く、つい手抜きばかりしていた私の食生活。母に差し入れとなると、食事内容は気を使う。母に差し入れる量は、未来の私の目安となる。

限られた時間を私も楽しみながら、前に進み続けて行く。深大寺のお蕎麦は、また母と一緒に行ける様になると嬉しいくらい少しだけ持っておく。

待ってるよ。お母さん。




コロナ化になり2年。私が仲間と共に活動している、傾聴を身近に感じて頂くためだけのイベント。


傾聴が大事、自分にも価値観がある様に人それぞれの価値観がある、多様性って言葉は当たり前のように耳にしたり目にする。


私も過去習ってきた学びの中でも何度か聞いたけれど、傾聴をナノさんから学んで7年経った今も聴くのは簡単じゃない。それでも諦める選択肢が私にないのは、傾聴を体感→経験をしてきたおかげで私は苦しい時に苦しい、嬉しい時に嬉しい、悲しい時に悲しいと言える様になった。


沢山の傾聴カウンセラーや傾聴カウンセラーを目指している仲間に、話して離して放して今の私がいる。


私たちのイベントは傾聴に始まり傾聴で終わる。出来る限りの感染対策や準備をして2月6日 日曜日 京王線国領(各駅停車)下車1分のあくろすで映画のシェア会をします。


人数制限があるのに、予約も取らないスタイルは珍しいと言われます。映画を観てから◎◎って思った。△△が面白かった。□□ってと同じ映画を同じ時間に観ていても違い、それをただただ楽しむのみです。


私が積み重ね続けている傾聴は相手に白黒をつけるものではなく、自分自身が何を感じるか。


こんな時だから、硬くなった口元や心を一緒に開いてみませんか? 大人のみの入場とさせて頂きますが、ぜひ足を運んで頂けたら嬉しいです。


本日、臨時の上映会を事務所でやりましたが、まあ涙腺やら感情が大変(笑) 観るだけじゃなく、シェアをする事が大事な映画である事は間違いないです。



2021年の今頃はコロナ化の影響で母には面会出来なくはなっていたけれど、コロナさえ落ち着けば母と穏やかな時間を過ごせると信じていた私。


春に実家の今後をどうするかを決めるのに、眠れなく食べれなく仲間が本気で心配するくらい思考回路が混乱→暴走も激しい中で、ガチで傾聴カウンセリングを受けながら私は自立をすることを決意。


私が落ち込んでいた時には電話口で笑い飛ばしてくれた母。私が前を向いて歩き出そうとしていたら、突然壊れてしまったのは母にとって家は命と同じくらい大切にしていたから。


母も食事が取れず眠れない日々が続き入院しても回復せず。誤嚥性肺炎や尿路感染まで起こし、気付けば尿管を入れていて寝たきりになっていた母。転院して見つかった急性脳梗塞の再発。


その間も実家の売却準備、引越し、入院、転院、施設の退去に見学、入居など、予期しない出来事がある中、私は転職活動もしていたっけ。


ようやく母が退院出来るまでになり、あとは母のリハビリをサポートするのみだったはずの2021年末。母は環境の大きな変化と手離した家への想いから別人になり、私は母の往診と救急で8年前の最悪な状態が一瞬傷みがフラッシュバックしたけれど…


あの時はまだ母も私も若く、傾聴を学ぶ前だった事もあり、諦めるに諦めたくなかった母の命。現在骨と皮だけになってしまった母を受け入れるのは、一番どうにかしてあげたいのになす術がなくしんどい事もある。


それでも母と離れて暮らす様になって8年。私は母がいなくなっても1人で生きて行く覚悟をしての現在。長崎に2回も行ったり、みかん狩りやバスツアーも2回行った。海外にいる弟家族にも母と2人で会いに行った。


コロナの影響で予定が大きく変わってしまったのは、私と母だけではない。母の命は母のもの。出来れば残った時間を穏やかに笑って過ごして欲しいと願う、私の鏡でいてくれる母。


残りの時間もいつまで私と話が出来るかも解らないけれど、母だけは最後に笑って見送ると決めている。平坦な道のりではないけれど、私だから出来ること。


母がいなくなっても私は私の人生をどう生きるか?を、母から学べている現在。文字に起こすまで、不安や恐怖を味わいきるまで時間はかかったけれど…。


私の愛は私の生き方に繋がっている。2022年も沢山笑って泣いて走る1年になるのも、私らしくて気に入っている。行くよ。















この半年、今まで生きてきた人生の中で大きな決断を沢山した私。


実家の土地定期借地期限が過ぎ、購入、継続、売却のいずれかを選択するのに、何度も母と話し合い眠れない夜を久々に味わった。


まさかの坂は突然やってくる。ラッキーだったのは、傾聴の講座で聴いて頂いたり私の尋常じゃない緊急事態に沢山の仲間が介入してくれた事。


申し込みをした時点では今まで経験してきた延長の悩みだったけれど、私も含めた家族全員に関わる大切な事で悩んで迷って苦しくて。


肝心な時に何が正解か?を求めて動く私の癖が出ていたから、そりゃ辛いよね…って今だから思える。渦中にいた時には息をするのも苦しかった。


【なんで私ばかり、こんな思いをしなくちゃならないんだろう… 疲れた】って本音を吐き出したら、離婚して私は帰る場所があり母が温かく迎えてくれた。私が自宅にいるから、複雑に考えていただけ。


実家での1人暮らしも精神的に限界で、私は自立する事に決めた。私がメソメソしていた時には励ましてくれたり、自宅売却を母が決め私も自立に向けて内見を始めた時は親戚に「文子の新居に遊びに行きましょう」と言っていた母。


私の母らしく強がっていたのか、施設内で食事が出来なくなり眠れなくなり、私にも朝方4時台からの助けてコールや留守電。いざ自宅売却に向けて動き出そうとした時に、母は精神科に入院をした。



8年前と違うのは明らかに原因が解っていたので、入院さえすれば改善すると疑わなかった私。自宅の整理や母の体調を心配した弟が一次帰国をしたけれど、母はどんどん悪化した。


気付けば誤嚥性肺炎と廃用症候群と尿路感染を起こし、かなり危険な状態に「母の命の寿命なら仕方ない」と弟と何度も話し合い(バトル)もした。運良く、私が勤めている病院に転院が出来て、検査から急性期のラクナ脳梗塞と診断がつく。


大きな脳梗塞も2回目。最初こそ尿管は外せず口から食べる事を拒絶したり、ほとんど寝たきりであった母。母に寄り添って頂いたチームサポートのおかげで、最初は食べる物に興味を持ち始める事から今ではリハビリに自分で目標を持って取り組むまでに。


何より嬉しかったのは、母らしい母が私の目の前にいること。

前回の脳梗塞も今回の脳梗塞も、通常であれば左半身麻痺や言語障害が大きく出る。


さすがに3ヶ月寝たきりに近かったので、今は歩行器を使っている。母本人は違和感を訴えてはいるものの、会話は出来るし立居も驚くほど素早い(笑)



何より今回は弟が来た頃の記憶があり、本当に具合が悪くどうして良いか解らず、息子を追い返してしまったと担当看護師に話すくらい。私も会いたくないって、数回言われた事は私の中にしまっておく。



自宅の売却手続きも母が壊れた時点で保留となったものも、母の回復に合わせて手続きが進み本日、私が手続きをして完了する。



傾聴を学び続けていたおかげで、まるごと私をその時その時正面から受けて感じて、倒れそうにもなっていたけれど私自身を大切に信じ抜く事が出来た。


前回のリハビリは私が思うままに母に口を出さなければ私の気が済まなかったけれど、今の母には意思と意欲があり私は面会制限が緩和されるまで定期的に衣類交換をするのみ。



母の30年来の念願だったインスリンの自己注射も先月末不要になり、母も不自由になった左側だけじゃなく大きな自由を手に入れている。



来年はまた一緒に行こうね🎵