追記し新たにupさせて
いただきました。
旦那さまのblogをリブログ
させてもらいます…
3.11 あの年
おねぇーちゃんは
当時、大学一年生で
「東北の被災地へ
ボランティアに行くから」
と言って
ボランティアをする為の
講習会に参加し
バイトを掛け持ちし
行く為に必要なお金を
貯めていた…
私は行きたくても
行けない身体を情けなく
思って辛かった。
その年の12月
おねーちゃんが
急性骨髄性白血病となり
闘病生活が始まり
ボランティアに行く事は
出来なくなって
しまいましたが、、
あの日私は
精神障害当事者として
ある研修で
県のアドバイザーとして
講師をさせて貰ってました。
三重県でも
とても酷い雨の中での
研修となりましたが
グループワークで
ある圏域に入っていると
口ぐちに
「あそこは今
保健師さん1人で… 」
「ここの奥へは
山が崩れて訪問できん… 」
「今、研修なんか受けとる
時間ないのに… 」
「県に何言われるか
わからんし、事業所が文句
言われたり 仕事出来やんように
なったら大変… 」
などなど
本当に研修受けてて
良いんですか?
担当者に言いましょうか?
と、聞きながら
言われると困ります
と、いう感じの目線に
口を閉じました。
あの時、
県庁の講堂では
たくさんの方々が
研修を受けてみえて
相談支援の専門職で
私は単純に
皆んなで助けに行けば
良いのではないか?
研修は何日か続くし
日をまたいで
また研修あるし
研修よりも
今ある命のほうが大切だし、
いろんな気持ちを
持ちながら
とても複雑な研修会だった。
数日の研修が終わってからの
研修部会では
県職の方や、各部会の方々が
集まり話し合いがあり
反省や来年度の研修のあり方
兎に角 色んな事が話し合われ
来年度の研修に向けて
また、各部会が動きだします。
その場で
個別名や圏域は出さず
耳にした事を含め
(予め了承を得て個別名 圏域は
出さないと言う事で)
非常時に相談支援員を
不在にしても良いのか?
県からの罰則のような物が
あるのか?
何かしら
対策の仕方がなかったのか?
聞いてみました。
県からの罰則はないけれど
修了証は出せないので
相談支援員は出来なくなると!
罰則と同じである
相談支援員が居なくては
成り立たない事業所も
出てくるし
実際に現場が困ってしまう
育てる場が
そのような事では
利用者さんも困ってしまうし
ぎりぎりの日程とて
命には変えられない
現に三重県側でも
亡くなってみえますよね!
前もって
予備日を作るなりして
対策するべきではないか、、
等々
数名からの
突き刺さる目線を無視し
発言してた。
私自身、この研修で
障害者(児)相談支援初任者を
取得したけれど
とても厳しい日程だった。
そして旦那さま
私はね貴方は故郷に帰って
支援してみえると
そう思ってた…
とても気になり
某市役所へ行き 目にした貴方は
いつも通り仕事をし
お客様と話してみえた
その姿に
大丈夫なのだと安堵し
某市役所を後にしたんだよ!
当時の私は
新聞やテレビにより
症状が悪化したり
フラッシュバックになったりで
他の情報がなかったから、
後からね 貴方から自信を責め
張り裂ける思いを聴き
とても苦しく
とても辛かった事を
覚えています。
「なぜ帰らなかったの
ですか」と言ってしまった事も
覚えています。
一緒に生活をはじめ
故郷へ近付く中 涙してた事を
知っております。
帰り道では
苦しんだ顔をしてみえた事を
知っております。
今、自分に素直な貴方は
とても素晴らしいと
そう思っております。
毎年、水害があり大変ですが
まだまだ若いとされる貴方は
もっと対策にね
入って行かなければならないと
そうも思っております。
…私の書いた あの日とは…
『紀伊半島大水害』
2011年9月 台風12号
紀伊半島が豪雨にあい
三重県、和歌山、奈良県
3県で
死者 72名
行方不明者 16名
旦那さまの故郷
和歌山では
死者 56名
行方不明者 5名
という大水害が
震災のあった年の 夏の終わり、
この年は
天災 ? 災害 ? が重なり
人災とも言える
災害でもあったと思っています。
言葉では表現しようのない
言い表す事のできない
とても辛い年でもあり
気持ち新たに
がんばらなければ と
思い 考えさせられた
年でもありました。
亡くなられた方々の
御冥福を心よりお祈り
させていただきます
共に
度重なる災害の
少しでも早い復興を願って
止みません。