児童養護施設。。。 | つくしのブログ

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母(私)つくしです。
発達障害の兄弟、にぃーにとちびちゃん。たまに娘、おねぇーちゃん。

みんな障害だけどいろいろあるけど、手仕事大好きでお料理や畑の記事も多いです。




秋前になると
私自身の体調がね
とても悪くなってくる…


覚えてる
だって、ちょうど
長袖にね   にぃーにの
お名前アイロンしてた。

9月くらい……

ちょうど
そんな頃だったんだよね
にぃーに。


体調が悪いと
とっさに、にぃーにを守ると
いうことが出来にくく
なってくる

とにかく動きが悪く
なるんだ‼︎   私の‼︎

とっさな行動がとりにくい
自分の体なのに
思うようにならない‼︎


パートナーの行動で
私自身がフラッシュバックを
おこしてしまったり、、

いろいろ悩んで
たくさん   たくさん悩んで


障害者支援室の窓口へ
相談に行ったんだ。


何かあってからでは
取り返しがつかないから

にぃーに、にね
何かあってからでは……


窓口で虐待の事を話すと
パートナーへ
どんな伝わり方をしてしまうのか

その事からの逆上が
怖くて

私自身の症状が悪くて
困っていると言う相談の
仕方をしました。


当時の担当は旦那さまでした。

子育て支援の窓口に
繋いでもらって

保育園に預けるときに
お世話になった担当の方
だったから

安心したのを覚えてる。


当時、おねぇーちゃんも
一緒に住んでて
おねぇーちゃんも含めての
話し合いもしたな、、、


何かが改善される訳もなく……

とりあえず
私自身の症状?   状態?が
落ち着くようにと

週末のみ
児童養護施設へ
あずかってもらう事になって

その事だけでも
苦しくて 苦しくて
私の状態は良くなるより

悪くなっていった。

にぃーにも訳がわからず
泣きじゃくり、、

決して、にぃーにとっても
私にとっても良い状態では
なかった


暫くその体制が
続くと思っていました。


毎日のように
市役所に話しに行き

そんな中
パートナー自身も
良くない症状が出始め

私の障害担当
にぃーにの子供家庭課担当
の方々と県の方

児童養護施設は
県の担当なので県の方が
入ってくれていました。

この時点で
パートナーからの虐待の事は
話したと思います。


にぃーにを
「一時保護」すると
いう言葉がでて

保護と言っても
休みの日等は会いに行ける

落ち着いたら
直ぐに帰ってこれる

その確認をして
サインを慌ただしくした。


5時前だからと
とても急がされた事を
覚えている

パートナーへは
虐待の事に触れず
私の状態が悪い為との
説明をして頂き

了解をもらった。


その日から
ずっとずっとずっと
にぃーに会わせてもらえず

毎日のように頼みに
行ったけれど…

1年近く面会もさせて
もらえなかったんだ。

私はどんどん自分を
追い込んで行った

他に持って行き場がなかった
知らなかった
わからなかった


毎日、毎日
市役所に電話をしたり
行ったりして

会わせて欲しいと
会わせてもらいたいと
お願いをしてた。


そんな中
おねぇーちゃん(娘)が
急性骨髄性白血病となり

長期入院      闘病生活
命との闘いに、、

にぃーにが児童養護施設へ
入所となってから
3ヶ月後くらいの時期でした。


にぃーにが居なくなり
3ヶ月間のあいだにも
色んな事があった

自暴自棄になり自傷行為が
つづいたり

夜中、眠れなくて
パートナーと一緒にも
いれなくて

毎日  毎日
にぃーにが入所している
児童養護施設まで

歩いて   歩いて

にぃーにが夜中に
泣いていないか確認するように
毎日、足がむいた。

夜中に歩きまわる
私が悪いのだけれど
レイプ被害にあい

念の為に
医師の診断書を書いて
もらったり


この頃の私は
涙を流す事もなくなり
身体の痛みも感じなくて…

その分楽だと思っていた。




つづきます