【出典】明治34年(1901年)頃のマラリアと標高の関係
『明治時代の北海道(屯田兵・第七師団)の土着マラリアなどの資料』
http://supplementary.at.webry.info/200801/article_10.html
に
ヒルシュ氏は ドイツに おける マラリア発生の有無の 限界は 標高 400~500 mと いう結論を出した。
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(←転載自由である)
と記載されていた。
ヒルシュ氏は、Hirsch氏とも表記されていた。
また
『Could Malaria Reappear in Italy? 』(Roberto Romi, Guido Sabatinelli, and Giancarlo Majori)(Istituto Superiore di Sanità, Rome, Italy; and World Health Organization, Regional Office for Eastern Mediterranean Region, Cairo, Egypt)(←CDCのサイトである)
http://www.cdc.gov/ncidod/eid/vol7no6/romi.htm
には
At the end of World War II, malaria was still present in vast areas of |
と記載されていた。
和訳してみる。
【私の和訳】
第二次世界大戦 終結時には、マラリアは依然として、イタリアの大部分の地方(主に、中央部・南部・多数の島々・北東海岸地域であるが)に存在していた。
もっとも、Pianura Padanaでは、ごくわずかな風土病という感じであったが。
3つの媒介蚊は、Anopheles labranchiae Falleroni・An. sacharovi Favre(双方とも、いわゆるmaculipennis complexである)と、An. superpictus Grassiであった。
An. labranchiaeは、イタリア中央部・南部・シチリア島・サルジニア島で、主要なマラリア媒介蚊であった。
シチリア島・サルジニア島では、An. labranchiaeは、海抜1,000メートルと同じぐらい高いところまで、発見されていた。 |
上記から、第二次世界大戦終結時のシチリア島、サルジニア島では、標高1,000メートル以下が、マラリア発生地帯だったことがわかる。