(4) 昭和18年頃の一般人が抱いていたマラリアの知識 | 日本でマラリアが再流行するとは思えない。

(4) 昭和18年頃の一般人が抱いていたマラリアの知識

 私は、海軍病院で、デング熱の宣告をうけ、薬瓶をさげて、前田氏に助けられて自分の室のベッドへ戻った。


そして、黄色い液体を呑んでみた。


味も何も分らない。

「この薬は、猛烈な下剤ですよ。


しかし、このデング熱は、なんですな。」


と前田氏は云った。

「デング熱にも、大天狗を初めとしていろいろあるそうですが、これは小天狗の方で、一番軽いですよ。」

 しかし、夜に入ってみると、軽い方にしても、大変な悪戦苦闘を繰り返さねばならなかった。


食事は、全く喉を通していない、寝返りをうつ気力すらない、全身の隅々までが燃え上がり、睡眠の入りこむ余地がない。


眠られぬ夜の苦しさを、しみじみと味わねばならなかった。

↑出典:『海軍恤兵雑誌 戦線文庫 第53号』(発行所:興亜日本社。昭和1831日発行。毎月1回発行。非売品)(←海軍省恤兵係監修のもとに戦線海軍将兵慰恤のため国民の寄せられたる熱誠なる恤兵金を以て、作製、配布したもの)p 84-87の『現地特報 メナドででんぐ熱になやみ、ダバオへと飛び、新生マニラへ向ふ記 でんぐと南方飛行 大東亜一周の手紙 その5 戦線文庫主幹海軍報道班員 大島敬司』の『でんぐ熱下のメナド 川端康成様』

↑著作権の保護期間が満了しているので、転載自由とする。わかりやすくするために、表現を変えたところがある。

↑メナド:マナド(Manado)とも表記する。インドネシアのスラウェシ島北東部にある。

 ダバオ(Davao):フィリピンのミンダナオ島南部にある。

 マカッサル(Makassar):ウジュンパンダンとも表記する。インドネシアのスラウェシ島南西部にある。