実際には見ている人は少ないけれど、まるで世間に注目されているかのような幻想を見ることができる
他者を意識しているのに自己満足が目的、というズレがどうにも不可解なのである
これは森博嗣さんのエッセイ集(正直に語る100の講義p.71)から抜き出してきた文。昨夜、寝る前になんとなく読んでいて目に留まった箇所。言われてみればその「ズレ」、わたしにもあるかも。というか、わたしも薄々と感じてきたことかも。プライベートを公開する必要ある?と。自分のことを話したい、でも何のために書くのだろう?(読みたい人なんかいるの?)と疑問を抱きながらも書かずにはいられない... というこの妙な気持ち。この心理を、森先生は理解しづらいと言っているのかな?
なんとなくブログを始めたわたし。具体的なテーマや分野に沿ってではなく日常生活を淡々と記録していこう、と。何でそうしたいのだろう?結局、寂しいとか承認欲求とか、心の隙間を埋めたいのかな?そんな気がする。あとは、自分なりにストレスを発散しているのかもしれない。
考えてもみれば、森先生が指摘するように、他人(読者)を意識しているのにその受け手のメリットを全く考えていないというのもチグハグしているのかな。受け手がいることを想像しているのに自分のことを満たすことしか考えていないというのが引っ掛かるというか、相手が目の前にいるのに自分の感情を満たす話ばかり失礼(変)では?ということ??ちょっとこんがらがってくる。とにかく、個人の日常記録を読んで何か得することでもあるの?と。でも、他人の日常を覗くこともちょっと楽しいかもしれないね。そう感じる人も少しは存在するはず。
そういう風に考えると、わたし個人の日常記録も誰が興味を持つのか。人気芸能人でもないのに。自分の日記が役立つことがあるとしたら、さっきも触れたけど、せいぜい見知らぬ人の日常生活を覗き見たいという人の好奇心を満たすことぐらい?あとは、書く情報によっては直接誰かの役に立つことがあるかもしれない。
個人の日記なんて大した需要はないけれど、森先生が「良い悪いの話をしているのではない。みんな好きなことをすれば良い。自己満足が得られることが人生の第一目的なのだから、文句を言われる筋合いではない。」と書いていた通り、私もそれを公開するのは個人の自由だと思うし、目的も自己満足で良いと思う。誰かに迷惑をかけているわけではないし、読む側も嫌なら見なければいいし。
そんなこんなで、これからブログを書いていく時、自己満足や心の隙間を埋める意味もあるけれど(これが大半の理由かも)、せっかくなら時々でも小さなことでもいいから誰かの役に立てる内容を意識的に含めていきたいと、森博嗣さんのエッセイを読んで思ったのでした。これ以上自意識を拗らせないためにも。![]()