47都道府県の県庁所在地を訪問したので雑多な感想(続き)

 

42.長崎市

 Q.長崎名物のラーメンは何でしょうか?

 A.そんなものはない。ちゃんぽんを食え。

 

 ごく普通の街であれば、麺料理といえばラーメンであるが、長崎ではちゃんぽんの方がよく食べられている。そのためか、街中華のメニューにラーメンが無く、その代わりとしてちゃんぽんがある。普通の街であれば人気のラーメン屋と、その真似をするラーメン屋でご当地ラーメンを形成するが、長崎ではラーメンを食べる機会自体が少ないことからご当地ラーメンがない。九州北部には各地域ごとにご当地ちゃんぽんがあるので長崎ラーメンがない代わりに長崎ちゃんぽんがあると言えるだろう。ちなみに、ちゃんぽん麺の最大の特徴は唐灰汁を使うことである。 

 

 長崎市は日本本土の中でも最西端に位置する長崎県の県庁所在地である。街の中心に浦上川が流れており、僅かな平地に数多くの建物が並び、平地に建てきれなかった建物が山の上に延びていく立体的な構造を持つため、街の至る所に階段がある。

 そのため、ロープウェイ、スロープカー、斜行エレベーター、斜面移送システムなど坂や階段を登るために様々な乗り物がある。街の構造が自転車の利用に不向きなため、街中で自転車はほとんど見かける機会がない。その代わりとしてバス、タクシーが非常に発達している。とあるネットニュースによれば、宝町~八千代町はバスの本数が往復3,500本と非常に多い。そのせいか、道路がバスで渋滞している。また、地方都市であるにも関わらず流しのタクシーが多く走っており、住宅街であっても主要な道路で3分待てば流しのタクシーを捕まえられる。また、市中心部の主要な施設の多くは路面電車でも行くことができる。

 長崎駅東口の道路は博多駅西口の道路よりもはるかに交通量が多いうえ、路面電車も走っている九州屈指の難所。

長崎駅前の電停

 

 江戸時代でもオランダとの交易が続いていた場所であるため、外国の影響を受けた文化が多く残っている。長崎以外では欧州との交流は途絶えていたが、長崎では交流が継続されていたため鎖国の影響が薄く、他地域とは異なる歴史を経た異質な街。

 幕末には海外との接触を求めて様々な人物が来崎しており、例えば、坂本龍馬は長崎で日本初の商社である亀山社中の設立に関わっている。そして、この亀山社中は同じく長崎に存在したグラバー商会を通して銃や軍艦を購入、長州藩への運搬に成功している。

亀山社中跡近くにある龍馬のぶーつ像

 

幕末に作られたアスファルト道路(グラバー園)

 

旧スチイル記念学校(グラバー園)

 

 長崎の貿易といえばオランダが有名だが、中国とも貿易している。

 街の中にも外国風の建物がいたるところに数多く残っている。

 

崇福寺

 

 長崎の新地には日本三大中華街の一つである新地中華街がある。規模は他2つと比べればはるかに小さい。ただし、中華風の街並みは中華街だけにあるわけではない。そもそも唐寺である崇福寺、興福寺、福済寺のいずれも新地中華街になく、孔子廟もない。

 長崎中華街の規模が小さいからといって魅力がないわけではない。各地域の中華街にはそれぞれ名物のようなものがあり、横浜中華街はいちご飴、神戸南京町は豚まん、そして長崎新地中華街はハトシである。ハトシとは海老のすり身をパンで包んで揚げた食べ物であり、ぷりぷりの海老の脂身とパンを油が合わさって濃厚な風味を味わうことができる。角煮まんも長崎の名物だが、横浜中華街でも販売店を一軒だけ見つけた。(味が微妙な上、小さいが)

長崎新地中華街

 

ハトシ

 

 長崎は「三菱は国家なり」で有名な三菱の街であり、三菱御三家の一つ三菱重工業創業の地である。市内には三菱系列の会社が数多くある。

 三菱重工業長崎造船所には修理中の護衛艦を見かけることが多く、最新の「もがみ」型護衛艦も建造している。

奥に三菱重工業長崎造船所(グラバー園より)

手前に三菱重工業長崎造船所(稲佐山より)

旧三菱鉱業高島炭坑端島坑(軍艦島)

 

 第二次世界大戦時には原子爆弾が投下され市街地が壊滅する被害を受けており、原子爆弾落下の中心地とその周辺は平和公園として整備され、原子爆弾が起こした惨事を現在に伝えている。