確かに、ハンナの幼馴染であるフローラが傍にいるときは様々な肩書きがなくなりただの“ハンナ”に戻っているように思う。
結局、令嬢としての幸せとやらも自分たちの押し付けでしかないのなら、彼女の意思を一番に考えて婚約の話は白紙に戻しても構わない、そう思ったジュリアスは「分かった」と微笑んだ。
「だが、ローウェル家とは縁のある家の出の青年だし、いずれ何らかの形で会うことにはなるだろうから。一度、挨拶のために会ってみないか?」
「そういうことでしたら…しかし、一体どこの家の者で?」
「シルヴェスター家だ」
シルヴェスター、というワードにハンナは驚いたように「まさか、あの?」と首を傾げる。
「嗚呼、あのシルヴェスター家…フローラの兄だ。御前はまだ会ったことはないだろうが、相手の方は御前のことを知っているようだ。なにせ今回のことは、先日の舞踏会でたまたま御前を見掛け、一目惚れしたからまだ相手がいないなら立候補させてほしいと彼方から言ってきたのだから」
「はぁ…仮面で顔は半分隠れていたのに、よく私だと分かりましたね」
「ブローチをドレスに着けていただろう。それでじゃないか?」
そう言われて「成る程」と納得すると
「明日、此処に来るんですよね?ではもてなす準備をしますので、私はこれで」
立ち上がり、部屋に入ったときと同様に軽く一礼をしてから静かに出て行った。
そのあとに続いてオリビアも「失礼致します」と頭を下げてハンナの後を追う。
部屋に残されたジュリアスは二人を見送ると、椅子の背もたれに凭れかかり、一人呟く。
「今のままでいるのも婚約するも、全てはお姫様の心のままに。私たちは御前が幸福ならば、それでいい」
***
「再びお会い出来て光栄です。赤薔薇の君」
ハンナの幼馴染、フローラの兄がまさか舞踏会の夜に会ったあの彼だったなんて、と目の前で優雅に微笑む青年を見てハンナは思った。
「約束通り、名乗らせていただきますね。私はオスカー=シルヴェスターと申します、宜しければ貴女の名前も教えていただけますか?」
「オスカー様、ですね。私はハンナ=ローウェル。……まさか貴方がいらっしゃるとはねぇ」
「私も貴女が着けていたブローチを見たときは驚きました。妹がよく話している幼馴染が、こんなに美しい人だったなんて、と」
聞けば、今までシルヴェスター邸でハンナがオスカーと会ったことがないのは彼が幼少の頃から貿易商人であるシルヴェスター伯爵、つまりオスカーの父親に連れられてよく海に出ていたためだとか。
しかしフローラの口からいつも出てくる“ハンナ”のことは、一方的に知っていた、と。
「森にある花畑までピクニックに行ったとか、一緒にお茶会をしたとか。それはもう、色々な話を妹から聞いていたので、貴女にはいつか一度お会いしたいと常々思っていました」
「ふふ、そうでしたか。私もフローラから優秀で優しい兄上がいると聞いて、いずれは御挨拶をと思っていたので…今回のことは良いきっかけになりました」
「そう言っていただけて良かった。……それで、あの、」
オスカーは何かを躊躇うように一度口を閉じ、視線をふらりと彷徨わせると。
じっと、正面に座るハンナを見つめて、告げた。
「婚約の話ですが。貴女は断る気でいると、其方の父上から伺っています。…だけど、私はどうやら貴女に一目惚れをしてしまったらしい。だからどうか、良き友としてまずは付き合っていただければと思うのですが」
「ふむ。もちろん、喜んで。どうぞ宜しく御願いします、オスカー様」
「宜しく御願いします。…嗚呼、俺のことはオスカーと」
「では、私の事もハンナとお呼びください。それと」
ハンナは口元に笑みを浮かべると、オスカーの青い瞳を真っ直ぐ見据える。
「私と二人でいるときは、そのような“芝居”はしなくても良いのですよ」
一瞬、何の事かと目をぱちりと瞬かせてから。
どうやらハンナはオスカーが素で喋っていないことに気付いたらしいと理解し、彼はニィと口角を上げた。
「その観察眼の鋭さ、良いねぇ。改めて宜しくな、ハンナ」
「えぇ、宜しく。オスカー」
二人は手を握り合い、また笑った。