「で、そうなったと」
「……笑いたければ笑いなさい」
女王との御茶会から五日が経ち、仮面舞踏会当日。
いつもの軍服は脱ぎ、真紅のドレスを纏って会場内の見回りをしていたハンナは、隣を歩く燕尾服姿のフェリックスをちらりとも見ずに言うと不審人物はいないかと仮面の奥から視線を動かす。
そんな彼女を暫し無言で見ていたフェリックスは
「……笑いませんよ。ここにいる誰よりも、貴女は綺麗なのですから」
独り言のように呟いた。
彼の呟きを聞いていたハンナは一瞬驚いたように目を見開いて「ありがとう」と礼を言う。
「私は陛下の近くに戻るのでステラと一曲踊っていらっしゃい。嗚呼、分かっているとは思いますが、くれぐれも周りに正体がバレないようにね」
「私がこういう場に溶け込むのが上手いことは、よくご存じでしょう?」
「ふふ、そうでした」
フェリックスと別れると、何かあった時すぐ対応できるよう女王から5メートルほどの位置で彼女の様子を窺う。
それにしても、とハンナは煌びやかなシャンデリアの光を避けるように壁際へ寄り、所謂壁の花と化しつつ思う。
(夜だというのに、眩しい。こう眩しいと少し目が痛いな…)
右目に比べ、視力がほんの少し弱いらしい左目の目蓋に触れるように、そっと仮面に触れた。
幼い頃から太陽や強い光が苦手なハンナは、正直この空間に何時間もいるのは辛い。
女王のナイトでなければ今頃屋敷に戻っているだろうな、と内心で苦笑したとき。
「そこのレディー。体調が優れないようですが、大丈夫ですか?」
青みのかった黒髪に青い仮面、白い燕尾服姿の青年が心配そうに近寄ってくる。
「お気遣いありがとうございます。少し目が痛むだけですのでお気になさらず」
「目?それは大変だ、失礼」
青年はハンナの目の前まで来ると両腕を彼女の頬へと伸ばし、仮面の奥を覗き込んだ。
彼女の赤い瞳と青年の青い瞳が、互いを映す。
まるで、月明りに照らされた湖畔の水面(みなも)のような青だ、なんてことをぼんやり思っていると。
青年は感嘆の声を上げ
「宮殿の庭に咲き誇る、女王陛下お気に入りの大輪の薔薇のような。とても美しい、鮮やかな赤だ」
じっと、彼女の瞳を見つめた。
「嗚呼、瞳だけでもこんなに美しいのに、素顔を晒した貴女はきっとどんな花や宝石よりも美しく、天上におわす美の女神さえも恥じらうほどでしょうね」
「ふふ、お上手ですね」
頬から青年の大きな手の平が退けられると、
「壁の花の相手などせず、彼方にいらっしゃる方々と踊っては?」
僅かに肩を竦め、此方の様子を窺うようにちらちらと視線を送っている淑女たちを一瞥した。
しかし青年は首を横に振り、ハンナに手をそっと差し出す。
「私はいま、貴女にしか興味を惹かれないようです。良ければ、私と一曲踊っていただけませんか?赤薔薇の君」
ハンナは特に断る理由もなく、むしろ人々に混じって踊っていた方が都合が良いと女王の場所を視認すると頷き、手を重ねた。
「本当は貴女に私の名を明かしたいところですが、それでは仮面をこうしてつけている意味がない。もし次があれば、そのときに名乗らせてください」
「おや、まるで貴方は私が誰なのか知っているような言い方ですね。まぁ、良いでしょう。次があれば、私も名乗らせていただきますよ」
青年は顔を綻ばせ、「そのときを楽しみにしています」とハンナの手を引いて優雅に舞う人々の中へと行った。