■二章
夜、ある街の路地裏。
「はぁ…はぁ……」
眼鏡をかけた医者か研究者のような身なりの男が一人、何かを守るように胸に抱き息を切らして走っていた。
「この国の機密情報を一体どうするおつもりで?」
馬鹿な。
先程までソレは後ろから自分を追っていたはずなのに、どうして真っ暗な道の先から靴音と声が聞こえるのか。
男は恐怖に悲鳴も上げられないまま、しかしここでじっとしていてはいずれ殺されてしまうかもしれないと、走って来た道を戻ろうと後ろを振り返る。
それが、いけなかったのかもしれない。
「捕まえた」
黒いフードを目深に被ったソレ、いや、恐らくソレの仲間が男の首を掴んだ。
「あ…ぐ…」
「鬼ごっこはおしまいです。………捕まったスパイの末路は御存じ、ですよねぇ」
低い、けれどもどこか蠱惑的な響きをした声が男の後ろから聞こえてくる。
ソレ───ハンナは短く命じた。
「殺れ」
***
「───その後、中身を確認し鞄ごと文書は片付けておきました」
翌日、女王の御茶会に招待されたハンナは席に着くとまず昨夜の報告をした。
聞き終えると、そっとソーサーにティーカップを戻し女王はふう、と息を吐く。
「最近鼠が増えてきましたね…」
「そうですね。…私が、探りを入れて来ましょうか?」
ここ三、四年の間英国内を嗅ぎまわるスパイの数が増えてきていることに頭を悩ませている様子の女王に、少しでも憂いが晴れるようにと提案をしてみたが、女王は目を伏せ
「もし貴女が戻って来なかったらと思うと、正気ではいられないわ」
緩く首を横に振る。
彼女の様子を眺めつつハンナも紅茶を一口含めば
「ところで、当家独自のルートから入手した紅茶の味は如何ですか?」
場の空気を変えるように、得意気な表情で訊ねた。
「とても美味しいわ。名は何と言うのかしら」
「“ガーデン・オブ・ガーデニア”です。ガーデニアに近い香りになるよう茶葉をブレンドしているようです。余談ですが、最近発見された例のセイレシア王国、あと極東の島国ではガーデニアはクチナシと呼ばれているそうですよ」
「クチナシ…面白い響きね」
ふふ、と女王は頬を緩ませて琥珀色の水面に映る自身の顔を暫し見つめた後、思い出したように顔を上げた。
「そうでした、ハンナにお願いがあるの」
「何でしょう」
「舞踏会のことなんだけど、今回は仮面舞踏会にしようかと思って。それで貴女にも当日はこれを着けて護衛に当たってほしいのだけれど」
女王の後ろに控えていた従者はシルバーの、鼻から上を覆うタイプの仮面をハンナに差し出す。
それを手に取ると、胸のブローチや軍服で直ぐに身元が割れる為、こんなものを被っても意味がないのでは、と考えていると。
「嗚呼、軍服ではなくドレスを着てくださいね。でないと、折角仮面で素顔を隠していても皆貴女だって気付いてしまうでしょう?それでは面白くないわ」
思考を読んだように、スコーンに手をつけながら女王は笑った。
***