その日の夜更け。
少年は月が孤児院の真上に来ても眠ろうとはせず、窓の外を浮遊する者たちを睨みつけていた。
「子どもはもう眠る時間ですよ」
「ぎゃっ!」
突然耳元から声がして盛大に驚いてしまった少年は、すぐそばでくつくつと愉快そうに喉を鳴らして笑う昼間の女の足をげしげしと蹴りながら「急に出てくるな、びっくりしただろ!あと笑うな!」と怒った。
しかしいくら蹴ったところで、女の体はうっすらと透けているためダメージは全く負っていないだろう。
そのことを理解していながらも蹴り続けている少年を見下ろしてまた女は笑う。
「ほら、気が済んだら横になりなさい」
「おれがいつ寝ようがお前には関係ないだろ」
「もしかして、一人じゃ眠れないのですか?ん?」
「そ、そんなわけないだろ!……おれが寝ようとすると、外のやつらが邪魔してくるんだよ…」
女は「ふむ」と頷くと、窓に視線を向けた。
「何もいませんよ」
「……え、?」
そんなはずはない、と少年は窓に駆け寄って外をじっと見るが、そこには静寂と月の光しかなく、目を見開く。
「なんで…さっきまでたくさんいたのに…」
「………」
信じられないというように女を見上げると、何を考えているのか読み取ることが出来ない赤い目と視線がぶつかる。
「さぁ、夜はまだ長い。心配せずともお前の邪魔は誰もしないので、ちゃんと休みなさい」
女は窓を開け、窓枠に足をかけるとそのまま出て行こうとしたが、服を掴まれたような感覚に一度足を下ろして振り返った。
「どうしました?」
「……お前も昼間起きてただろ。人に寝ろっていうなら、お前もちゃんと寝ろよな」
「……、ふふ。私の心配を?」
「そ、そんなわけない!お前なんかどうなったって全然気にしないんだからな!」
「はいはい。では、私は他に行くところがあるのでこれで。おやすみ、人の子よ」
「……あ、…お前の名前、まだ聞いてないんだけど」
一瞬、何かを言いかけたが迷ったように視線を彷徨わせ、結局それは口にせず女の名前を訊いてみた少年は、女の服をぎゅっと握ったまま僅かに俯く。
彼の記憶を数日前に覗いているため、少年が言いかけたことはそれとなく予想がついた。
女は「ゲドウ神です」と答えると
「次来るときまでに、お前の名前を考えておかないとね。いつまでも人の子と呼ぶのも不便です」
わしゃりと、少年の頭を一撫でして今度こそ窓枠から外へ飛び出していった。
その背に「か、格好良い名前じゃなきゃ怒るからな…!」と投げると、女は振り返らずにひらりと手を振って夜の闇に溶ける。
名前のない少年は窓を閉めると、どこか嬉しそうに一人笑い、木製のベッドに横になった。