■二章:外道とゲドウ
“僕”が高校を卒業する一週間前のこと。
「あんたゲームのしすぎで頭おかしくなったんじゃないの!?」
早朝、義母の怒鳴り声に起こされた“僕”は、頭痛を覚え頭を押さえて声が聞こえる場所へと向かった。
「この部屋にはあんたしかいないじゃない!なのにどうしてもう一人いるなんて嘘吐くの!」
「…嘘、じゃない。母さんには、見えないだけ…だから、疑われても仕方ない、けど…」
日暮の部屋の扉が開いている。
どうやらここから二人の声が洩れているようで部屋を覗くと、義母が腕を組み仁王立ちして日暮を見下ろしていた。
「おい、何の騒ぎだ」
恐らく“僕”と同じ理由で起きてしまったのだろう、父親や夜明、真昼も部屋に集まって二人を交互に見やった。
「それが…」
義母曰く、父親の弁当を作るために早起きをして部屋を出ると、ティーカップを二つトレーに乗せて自室に入っていく日暮を見掛けたらしい。
てっきり夜明か“僕”のどちらかも起きているのかと部屋の扉をそっと開けると、テーブルにティーカップを二つ置き、向かい合わせに誰かがいるかのように何やら独り言を言い出した、と。
過去にも何度か似たようなことがあって気味が悪く思った義母は部屋に入って、今に至ると言う。
「もう気持ち悪いったらないわ!」
忌々しげに日暮を見る義母を横目に、“僕”は考えた。
数年前から“僕”はよく自分の傍に誰かがいるような気配を感じることが多々ある。
日暮が『会話をしていた』その人と、もしかしたら何か関係があるのかもしれない。
しかし、そういうオカルト的な話を嫌がる人は多く、この義母もその一人なのだろう。
“僕”は「義母さん、そろそろお弁当の準備をしないといけないんじゃ?僕、手伝いますよ」と、一先ず話を逸らし、半ば強引にキッチンの方へ引っ張って日暮から離した。
………。
誰かがいるような気配?
はて、そんなものはあっただろうか。
この辺りのことを思い出そうとすると、頭が痛くなる。
だから僕はあまり考えないようにしていた。
けれども、もしかしたら僕は何か大切なことを忘れているのかもしれない。
***
騒ぎがあった日の午後。
午前登校だった“僕”は慧と帰路を歩きながら、今朝のことや何者かの気配を感じることを話した。
「多分、日暮は嘘を吐いていないと思うんですよねぇ」
「ふーん、まぁ御前がそう思うんならそうなんじゃねぇの?」
「んー…慧くんは、目に見えない存在とか信じるタイプですか?」
「おー、俺は肯定派だな。見えないからいない、って決めつけるのはなんか違うと思うし。いたらいたで、面白いじゃねぇか」
「ふふ、慧くんらしいですね」
慧は「そうか?」とケラケラ笑った。
そうこうしているうちに自宅の前に着き、「また明日」と慧に手を振ると玄関の扉を開けた。
「……?」
扉を閉め、靴を脱ごうと屈んだ瞬間…違和感を覚えた。
「…どうして、父さんと義母さんの靴が?それに夜明が靴をきちんと置いていない…」
仕事に出ているはずの父親と義母の靴、そしていつもきちんと靴箱に靴を仕舞っている夜明の靴が乱雑に脱ぎ捨てられている。
廊下に視線をやると、夜明がいつもバイトに行くときに持ち歩いている鞄が無造作に置かれていた。
ガシャン!
「……!」
硝子か何かが壊れるような音が家の奥から響き、“僕”は慌てて音がした方へ走っていった。
段々、呻き声やすすり泣くような声、そして怒声が大きくなっていき“僕”は焦る。
開けっ放しになっているリビングの扉を通り抜け、目の前の光景に絶句した。
額から血を流し床に倒れて呻いている夜明、割れた酒瓶を片手に夜明を見下ろす父親、日暮の白い髪を掴み何事かを叫んでは殴りつける義母、片方の頬を赤く腫らし泣きながら義母の腰にしがみついている真昼。
そして。
「うっ…ごめ、なさ…ごめんな…さい…っ」
苦しそうに「ごめんなさい」と繰り返す日暮がいた。
“僕”の存在に気付いた父親と義母は気持ち悪い笑顔で「おかえり」と言うと、当たり前のようにまた弟たちに暴力を振るおうとした。
「ちょっ、と…待ってください!二人とも何やってるんですか!」
どうやら酔っているらしい父親から酒瓶をひったくり、日暮を殴ろうと振り上げられた義母の腕を掴んで静止しながら叫んだ。
二人は可笑しそうに笑って答える。
「何って。こいつらが悪い子だから叱っているんじゃないか」
「そうよ、いけないことをしたら叱らなきゃ。深夜くんからも言ってやって頂戴、日暮ったらまた誰もいないところを見てぶつぶつ言ってたのよ」
「………」
(こいつらの言っていることが、理解できない)
身体の奥から何か真っ黒いものが溢れ出し、それは化け物の形に変わって“僕”の中で暴れる。
どうにかその化け物を鎮めようと深く息を吸い込み、吐き出そうとしたとき、“僕”の足を夜明が掴んで呟いた。
「ごめん、なさい…俺じゃ、どうにも…できなかった…」
真昼は泣きながら「深夜兄さん」と“僕”を呼び、目で『助けて』と訴えてくる。
この瞬間、“僕”は頭の奥で何かがぷつりと切れる音を聞き、それを合図に“僕”の中で暴れていた化け物が顔を出した。
…………。
僕の大切な弟と、二人の妹。
彼等が御前たちに一体何をした?
何もしていないじゃないか。
どうしてこんな酷い仕打ちを受けねばならない?
どうしてこんなときに、笑っている?
嗚呼、もう、本当に…
「ふざけるな」
何かが切れた“僕”は夜明を抱き上げてソファーに寝かせると、彼等に背を向けテーブルの上にあるペン立てからカッターを取り出し、ゆっくりと刃を出していった。
しっかりカッターを握り締めると、“僕”は口元を歪め振り返る。
“僕”が何をするつもりなのか察したらしい父親と義母は青ざめ、「やめろ!」と震える声で言うが、もう知ったことではない。
「この子たちを守るためなら、僕は正しい人間であることを捨てて外道になります」
「三人を傷つけるモノは、いらない」
“僕”は父親の前で、カッターを振り上げた。
「――こんな虫螻共のために、御前が外道になる必要はない」
突然、耳元で聞き覚えの無い女の澄んだ声が響く。
驚いて視線を動かすと、“僕”の後ろにその人はいた。
「今までよく頑張りましたね。ここから先は、本物の外道に任せなさい」
赤い目を細め、その人は続けると“僕”の両目を後ろから掌で覆った。
視界が暗くなると、“僕”の身体からふっと力が抜けて意識が遠退いていく。
(……“僕”の傍にずっといたのは、貴女ですか?)
頭の中でそう問いかけると、その人は「そうですよ」と柔らかい声音で答えた。
そこで、“僕”の意識は完全に途絶えた。