■一章:傍観者
「おお、流石俺の子だ。よくやった」
そう言って、父親は上機嫌で“僕”の頭を撫でた。
“僕”の手には五年生の夏休み、宿題で描いた向日葵の絵が載っている新聞紙が握られている。
うだるような暑さの中、その辺で見つけてきた題材をぱぱっと描いただけの、何の価値もない“僕”の絵。
それがどこかのコンクールの特選に選ばれてしまい、展覧会に展示されることになったのだ。
そのことを真っ先に父親に報告し、今に至る。
「出来の良い息子を持って父さんは幸せだ。この調子で、他のことも手を抜かずに頑張れよ」
「はい、頑張ります」
子供らしく父親に褒められて嬉しそうな顔で大きく頷いて見せた“僕”を、扉の隙間から弟の夜明が見ていることに気付き「それじゃあ僕宿題しなきゃいけないので、部屋に戻りますね」と、適当に理由をつけて扉の方へと駆け足で行った。
部屋を出ると、そこに弟の姿はなかった。
「ん…」
きっと“僕”の部屋だ。
“僕”は直感的にそう思うと、自室の扉を開け中に入る。
予想通り、夜明は部屋の隅で膝を抱えて座っていた。
「夜明、どうしたんですか?」
弟の目の前に座ろうと屈むと、勢いよく夜明に抱き着かれ後ろに尻餅をついた。
“僕”は何かあったのだろう弟を包み込むように抱き締めて、もう一度問う。
「どうしたんですか?」
夜明は顔を上げないまま、ぽつりと答えた。
「…あのね、兄さんみたいにすごくはないけど…」
「うん」
「夏休みの絵、入選したんだ…でも、父さんはぼくのこと褒めてくれなかった…」
「そうだったんですね。夜明、入選なんて凄いじゃないですか。流石です」
「…すごい?」
「えぇ、夜明は僕の自慢の弟です」
「…えへへ、兄さんに褒めてもらったら元気でてきた!ありがとう」
ぎゅっ、と抱き着く弟の頭を撫でて“僕”は微笑んだ。
あのとき、僕がもっと大人だったら。
夜明の心に寄り添うような言葉が言えたのかもしれませんね。
幼い兄弟を眺めながらそんなことを思っていると、景色に靄がかかり、場面がぐるりと変化した。
***
ざわざわと騒がしい教室。
“僕”は特に何を考えるでもなく、窓際の席に座ってゆっくりと流れる雲を目で追いかけていると、いつの間にか教師が教壇に立っていた。
あんなに騒がしかった教室内はしんと静まり返り、生徒たちは教師の言葉をじっと待っている。
教師は教室内を見回すと、口を開いた。
「この間の期末テスト、皆よく頑張ったな。特に霧谷。全科目90点台だぞ」
そう教師が告げた瞬間、周りの生徒たちは一斉に“僕”を見る。
(わざわざ皆の前で言わなくてもいいのに)
“僕”はそんな言葉を飲み込んでにこりと笑った。
「霧谷、ちょっといいか?」
放課後、ホームルームが終わり教室を出ようとした“僕”を、担任が呼び止めた。
「はい。何でしょう?」
「御前、一年のときから成績いいし真面目だし、周りの生徒からも人気あるだろ?先生たちの間でも評判良くてな。でだ、生徒会に空きがあるんだが…入ってみないか?」
「僕が生徒会に、ですか」
(僕と取り引きしたいなら、素直にそう言えば良いものを…)
恐らく担任は、自分が受け持っているクラスの生徒を生徒会に入れて、生徒や教師から支持されれば自分の株を上げることが出来るし、“僕”の内申点も上がる、と考えているのだろう。
しかし、そういう本心を教師が口にすることはないと分かっている“僕”は
「僕なんかで良ければ、是非」と二つ返事をした。
「おお、やってくれるか!それじゃあ早速今から生徒会室に顔出して、挨拶だけしてきてくれないか?」
「分かりました。失礼します」
“僕”は頭を軽く下げると、担任に背を向け生徒会室に向かった。
教師というのは実に単純だ。
擦れ違うクラスメートに作り笑いを浮かべ「また明日」と言葉を交わしつつ、そんなことを考えていた中学二年生の“僕”を、少し離れたところで僕は苦笑しながら眺めていた。