小学校4年生の時からあるきっかけがあって私は死後の世界を探し始めた。家の中は喧嘩とモラハラで生きてる心地がしなかった。私の時代にお金がなくて修学旅行に行けないなんて、そんな家あるだろうか。小学6年の頃一家で夜逃げして一カ月間学校に登録しなかった時期があって、学校の教師に母親がさんざん怒られていたのを思い出す。転校ばかりで転校先ですぐに馴染めるはずもなく自由課題かなんかを必死にやって気を紛らわした。課題を提出した分、シールを貼る票があって、私1人がむきになってやってるのでダントツでシールが貼られるのがおもしろかった。仮住まいの家があんまりボロくてクラスの子に知られるのが嫌で遠回りして帰った。どれ程ぼろいかというと、通りがかった人が誰も住んでいないと思って勝手に共同便所に入って用を足して行く。鍵もない引き戸一つの6畳部屋に思春期の娘が二人もいるのに親と妹と4人で暮らした。着替える時はカーテンに隠れてした。お風呂もないし、台所も共同の水場だし、ずいぶん歩いて銭湯に行ったり近所の家で借り湯?したり。いつの時代の話って感じ。

 

 小学校6年の時、夏だったかな混んでる銭湯に行った時、何かいつもと違う事を母親に話したら、母親は「まったく、やんなっちゃう。もう、パンツ汚れて。」なんて何かすっごく面倒くさがられた。私は「あ、めんどくさいんだ。お母さん嫌なんだ。」と心に受け留めた。それが生理かどうかも分からなくて、同じクラスの子に相談した。とにかくまだ分からないけど、私は母親の様にはなるまいと心に決めた。それで私は女の子として生れたことが嫌にならないように、自分の娘たちにはその日にそれぞれ「これからは命が宿るんだから大切にしよう。」と花束を買って飾った。

 

「性」の話をすれば正気になれない。出家して頭を丸めたらこの世から抜け出せるかなと考えていた。原理では失敗した「性」が悪の始まりで、それによる遺伝的な堕落性はこの世のすべてを狂わせ、「愛の減少感」の言う逃れようのないキーワードは私の胸に突き刺さった。更に本来の「性の絶対性」「結婚」を唱えていた宗教にすっかりはまってしまった。だましだまし、印鑑買ったり、セミナー出たりしながらも、ある日止めどもなく涙が出て仕方がないと言う体験をしてから、何と30年以上もこの教えの中で生き続けているのだ。

 

そうして還暦を過ぎて今は「死んだらどこに行くんだろう」と曇り空を見上げていた時の私と同じ年の孫がいる。そして時間は止まっていない。

 

魂は永遠だそうだ。自分の魂が「永遠」だと?自分が「永遠」であることが嬉しい人はどれくらいいるだろうか。「えっ、このジレンマがエンドレス、ずっと続くって⁈」まじ、やめてほしい。

トランプの奇跡、「It was god alone. 神だけでした。」は有難いし、神業だと思う。死ななくてよかった。でも左翼による保守倒しを反対する集会に参加しようとか、OO祈祷条件とかは腹の底から嫌いだ。

 

30年以上もおかしな狂った団体にはまって変な生活して、この場に及んで更に本物はこっちです、覚醒しましょう、あっちは偽物です。って、こう、そっちに行きたいんだけど、わかってんだけど、もう、現実しんどいし、何度も折ったり曲げたりしてるもんでパキンって何か軸が折れちゃうのよ。正体性がわかんなくなってるの。もう、妄想遊びも、空想浸りもできないし、頑張れば、信じれば何とかなるとも思えないの。嘘だったじゃん。やっぱり間違ってたじゃん。って。

 

んで「私」を肯定しちゃうとそれがまた「偶像崇拝」なのですよ。金の子牛とか、フクロウとかそんなんじゃなくて「私」を中心にしたら答え出ないの偶像礼拝。だってお母様とか呼んでた人は「~たら教」に変わってメシアは自分だって言ってるじゃん。いや、私でもそれは違うつーくらは分かるよ。ふざけんなっちゅう。私たちは貴方の奴隷でも金づるでもありません。

 

んで、その狭間でちょっと逃げ場になるのがこの空間なんです。活字にして自分で読んで客観視して慰めてるの。

 

このブログは私と極少人数??ファロー以外に知る人もない。子供たちも関心ない。

周りにいる日本人の食口も知るわけもない。このまま鬱か、狂うか、認知症か、パーキンソン病か、そんなんに侵されて行くのかなと考えてる。何でこんなにつらつらと書き続けるかと言うと、そう私の脳波が一気に乱れる夫が今日は家にいるから。コンビニとスマホから抜け出せない孫がゾンビみたいだから。ぬぐえないトラウマを私に与えて尚、アクセルを踏み続けている娘がいるから。もう娘とは離婚したのに親権は法的に放棄したくせにサイコパスのようにヒルのように纏わりつく昔の婿と、婿の家族がいるから。

 

呪いだと思わない?これが呪いじゃなくて何?

Don’t you think this is a curse?