暮れの27日に愛知に帰省。1月5日にUターンすると「まつたけ温泉」から賀状が届いていた。私の母が昨年2月に他界したので、暮れに喪中はがきを出しているため、今年届いた年賀状は少ない。新年のブログによると健之さんも喪中で

「個人的なことですが昨年の1月に、母方の祖母がなくなったため、『おめでとう』という言葉は控えさせていただきますが、いよいよ、新しい年を迎えました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。」

とあった。そういえば賀状にも「おめでとうございます」はなかった! 

今年、母がいないとはいえ年末年始を「いつもどおり」と思えるのは、元日に起こった能登地方の大地震の報道が大きい。私のように帰省した方たちも多いだろうに。

そして、私は今年3月の「ラポルトすず歌謡祭」に行くつもりで12月にレンタカーとホテルの予約を済ませ、今月21日のチケット販売を待っていた。「ラポルトすず」は海のすぐ近くにある。珠洲市役所のカメラに映るLIVE映像には地震直後に黒い大きな波が陸に押し寄せている様子があり、ドキドキして見ていた。

 

2022年3月に泊めて頂いたお寺は22年6月の地震では墓石の倒壊は有ったけれど、お寺の被害はなかったと聞いていた。だが今回の地震では山門が倒壊し、居住スペース等にも被害があり、ご家族は避難所に身を寄せているようだ。その乗光寺の少し西に有る西勝寺というお寺は本堂が倒壊しているのが放送局のヘリコプターからの映像で見えた。22年にレンタカーで走ったはずの道が土砂崩れで塞がれたり、亀裂が入ったり、波打ったり、陥没している。のと里山空港の滑走路も道路と同じ状況らしい。港は津波で被害を受けているので自衛隊はホバークラフトを使って重機や支援物資を輸送したとのこと。情報が入る程被害の大きさに圧倒される。22年、23年に被害を受け、最近ようやく修復が完了したばかりだったという老舗和菓子屋さんの女性が「なんとか頑張ってきたけど、とどめを刺された感じです。」と悲しそうに話していた。

 

珠洲市は本州で最も人口が少ない市という。(2023年12月1日現在で11,759人) 私が泊めて頂いたお寺の奥様によると珠洲市となった1954年頃が38,000人でギリギリ市になることができたけれど、すぐに人口5万人以上が市となる条件になったと教えて下さった。過疎化、高齢化が進む辺境の地。地震で倒壊した家を新しく建て直して珠洲市に住み続ける人がどのくらいいるのだろうと心配になる。今日7日の新聞に珠洲市の避難者が7,122人と載っていた。人口の半数以上だ。今、何もできるわけではないが心配だ。今も続く地震が少しでも早く治まること、行方不明者等が早く救済されること、被災された方々に少しでも早く平穏な生活が来ることを祈るしかないのがもどかしい。