コロナの感染拡大が始まって以来、2年半以上浅草に行っていない。私の住む町から浅草へは、武蔵野線と東武伊勢崎線を使う方法が1番ラクな行き方。「浅草行」以外は殆んど「曳舟」で乗り換えるのだけれど、以前は曳舟と浅草の間に「業平橋駅」という駅があった。伊勢物語のモデルと云われる在原業平?通過する度に「いつか降りて謂れを確かめてみよう」と思っていたのだが、いつの間にか「とうきょうスカイツリー駅」になってしまった。時代の流れなのだろうけれど、「業平橋駅」という駅名もなかなか風情があって良かったなぁ、と思っていた。すると先月初めに新聞に「まちの記憶 東京スカイツリーかいわい 『橋に地名に 平安の色男の残り香』」という記事があった。あの「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」が隅田川の渡し舟で詠まれた事をはじめ、「業平橋」「業平」の地名の由来が諸説あるとしながら業平山南蔵院の境内に「業平天神」があるらしい事が書かれていた。

勉強熱心でもなかった私が「業平橋」という地名に興味を持ったのは、高校時代の古文の時間に「あんちょこ」に使っていた「伊勢物語」、それも教科書に載っていない章を読み耽っていたことが大きいだろう。おもしろかった!何故「筒井筒」や「かきつばた」のように教科書に載らない話なのかが分かるような内容だった。「平安の色男」、私には所謂日本語での「プレーボーイ」!都を思い出してメソメソ嘆く男たちの話より、ずっとおもしろかった憶えがある。