平安さんが終わったあと、電車に揺られながら“お腹空いた”なんて思って、生きてることを感じたりして。
コンビニでご飯を買って、日付が変わる前に家に着いて、ご飯を食べながら、ついてたテレビのニュースを眺めていたら、
命を脅かすほどの豪雨被害の中で助かったおばあちゃんが、家に戻ったときの状態を見て「死にたくなった」と言っていて、なんとも言えない重みを感じました。
肯定するには悲しすぎるし、否定するには無責任に思えてしまうし。
「命だけでも助かってよかった」という人もいれば、おばあちゃんみたいな感情を抱く人もいる。
命って、やっぱりむずかしい。
今年の平安LIVEのテーマは「いたみ」だと言っていました。
ニュースでそのおばあちゃんを見たとき、『「いたみ」はその人にしか分からないから、これをテーマにするのはどうだろうかとも思った』というようなことも剛くんが言ってたのを思い出しました。
でも、いたみと向き合うことが未来だと、そう言っていました。
これは頷けるし、向き合って進みゆく強さは、美しさや素敵さに繋がるのだろうなと思います。
「僕一人が平安神宮を参拝して祈ることで、何か意味はあるのか。何かが変わるのか」って言ってたあとに何て言ってたのか思い出せない(大事なとこ…!)
でも、最近自分の中でちょくちょく思ってた“自分が生きてる意味ってなんやろ”という思いに、“今は意味を感じられてなくても「生きる」ということをしていたら、何かに繋がっていくかもしれない…のかな”という思いがプラスされたので、そういうお話だったんじゃないでしょうか(曖昧すぎるし全然違うかもしれん)
記しておきたいことが、あれやこれやとあるけれど、明日はまたお仕事なんす。
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↑て、ここまで書いて寝落ちてました。
また他のことも書けるのか分からないまま、一旦終わります。
現実逃避のためじゃなく、現実と向き合うため。
剛くんと会えるということが、そういうものである自分で居られたらいいなと思う。