真とアヤは、大学二年を終えた時点で大学をやめ、結婚した。
結婚式は、小さな教会で、お互いの母親と自分達の四人だけで挙げた。
笹木教授を通じて企業に売り込んだシンレンサーは、瞬く間に多分野において利用されるようになった。
真は、大学を定年退職した笹木教授を顧問としてむかえ、会社を設立した。
蝉の声が聞こえる頃になると、シンレンサーは莫大な利益を生むようになった。
丁度その頃、真の病気は、前頭側頭型認知症のピック病と呼ばれるものであることが判明した。
現在、ピック病に有効な対処法は見つかっていない。
この病気の症状として、言語機能が低下し、会話や意味のある文章を書くといった機能が損なわれるとのことであったが、その後も真はアヤと『お題』のやりとりを交わすことが出来ていた。また、善悪の判断がつかず、反社会的行動をとるという症状については、真にはほとんどあらわれなかった。
そして八月、アヤは元気な男の子を生んだ。
真は、その男の子にと名づけた。
泣いたときには抱いてやり、夜になれば風呂に入れ、時にはオムツを換えてやり、真はその愛情のすべてを宙に注ぎ、宙を我が子として愛することが出来た。
真の病状は思いのほか安定しており、幸せな月日が流れ、やがて宙は二歳になった。
宙は二歳になる前から、数字や文字が読めるようになっていた。真の知能は宙にも受け継がれていたのである。
しかし、真が二十三歳の誕生日を迎える頃から、病魔は真の体を強く蝕みはじめた。
次第に言葉を失い、『お題』のやりとりが出来なくなった。
そして日常の会話も出来なくなり、やがて日常の生活にも介護を必要とするようになってしまった。
かねてから、自宅でのケアを望んでいた真は、アヤとヒロの介護の元、約一年の間、自宅で過ごしていたが、二十四歳の誕生日を目前に控えたある日、息苦しそうなそぶりをするようになり、発熱したため、入院することとなった。
それは、嚥下機能の低下に伴う誤嚥性肺炎だった。
入院後、常国医師から、真の病状はかなり深刻で、最悪の事態も覚悟しておいてもらいたいと告げられた。
入院から三日後の夕方
真に付き添っていたアヤからの連絡を受け、ヒロは宙を連れて病院に駆けつけていた。
アヤは宙を抱きしめ、涙を堪えていた。
真の体にはいくつものチューブやコードがつながれており、顔の色は透き通るほど白かった。
ヒロは真の手を握り、「シンっ、頑張って・・・神様・・お願いします・・・お父さん・・お願い・・」と涙を流しながら必死に祈っていた。
すると、真を見た宙が、アヤの腕から離れ真に近づいた。
「とーさん、もうお休み?」と、ヒロの手の上から真の手を握り、いつもそうしていたように真にキスをして真の頭を撫でた。
すると、真の口角が少し上がり、笑っているように見えた。
そして、計器のピーっという無機質な音が部屋に響いた・・・・
常国医師はこう言った
「おそらく真さんは、アヤさんのこと、そして二人の間で行われていたお題のやりとりについては強く印象にあったため、病状中期においても発症前の状態とさほど変わらずやりとりを行うことが出来ていたのではと思われます。
さらに、これは病気のメカニズムが解明されておりませんので、わたしの憶測に過ぎないのですが、真さんは通常よりもIQが高く、普段から破天荒な振る舞いをすることが多かったため、病状の進行に周囲が気づかなかったのかもしれません。
誠に残念です・・・・」
アヤは黙って聞いていた。
すると常国医師が
「これは、真さんから、昨年の検診の際、もし自分になにかあったらアヤさんに渡して欲しいと頼まれ、預かっていたものです。」と、空色の封筒をアヤに手渡した。
アヤは震える手で、その封筒を開けた。
愛する家族へ
これを読んでるってことは、俺はもう自分のことがわからなくなっちまってるのかななんにせよ、かなりヤバイ状況なんだろうな。
ひょっとしたら、もう死んじまったのかもしれないな。
アヤ、きみは今、泣いているのかな
宙はなにをしているかな
お袋は泣いてるかな
ごめんな
実は俺、親父のこと覚えてるんだ。
親父の病気でお袋が泣いてたこととか。
あの頃俺は小さかったけど、ちゃんと覚えてるんだ。
それで、もしかしたら俺もいつかは・・って思いがずっとあった
だから、ガキの頃から小説のようなものを書いて、心のどこかで、俺の生きた証みたいなものを作品として残そうとしてたのかもしれないな。
最近は、もう文章を書こうとしても、なかなか言葉がまとまらないんだ。
正直いうと、お題もきつくなってきてる。
でも、今は宙っていう俺の分身がいる。まさに俺の生きた証だ。
前に、かけがえのないものってお題やっただろ、あのとき、親からみた我が子こそが、
アヤの思うかけがえのないものだって言ったよな。
まさにそのとおりだ、いま心からそう思うよ。
お袋も俺のこと、そう思ってくれてたんだろうな。
親の心、子知らずだったよ。
宙は最近、文字が読めるようになって、口も達者になって可愛い盛りだよな。
俺、少し気になることがあるんだ。
俺の親父も俺と同じ病気で亡くなった。
俺の知能はおそらく宙にも遺伝しているのだろう、ということは、もしかしたら病気も遺伝してしまわないだろうか。
俺の病気は現時点では治療法は見つかっていない。
だから、製薬会社でも大学でもどこでもいいんだ、病気の治療薬なり、治療法を研究している機関の研究費用として、シンレンサーの利益を提供してくれないか。
同じ病気で苦しんでいる人たちを救うために使って欲しいんだ。
そして、もし将来、宙が同じ病気になったとしても治療が出来るようになっていてほしい。
アヤ、もし俺が死んでしまったとしても強く生きてくれ。
宙を、俺の分身を、生きた証を守り、立派な人間に育ててやってくれ。
宙はどんな大人になるのだろう。
ひとより能力が高すぎると疎外感を感じる時期がくるかもしれない。
そんな時は、自分を信じて進めば良いんだ、と伝えてやってくれ。
そして大人になって、宙が自分でやりたいと思うことを見つけてくれたらと思う。
俺は、生まれ持った能力にあぐらをかいて、おざなりに過ごした日々が長かった。
残された時間がわずかなのかもしれないという今になって少々後悔しているかな。
だから宙には、自分のやりたいことを見つけて充実した人生を送ってもらいたい。
もし、思い悩んでいる時には、きっと宙なら見つけられるはずだと伝えてくれ。
宙が、もう少し大きくなったら、俺が今まで書いた物語を読ませてやって欲しい。
下手くそな物語ばかりで笑われてしまうかもしれないけど、なにかを感じとってくれるとうれしいな。
なあアヤ、俺、太陽になれたかな
アヤと宙の太陽になれたかな
アヤ、俺の嫁さんになってくれてありがとう。
宙を生んでくれてありがとう。
アヤと出逢えたことが俺の人生で最高の幸せだったよ。
宙、俺の子供に生まれてきてくれてありがとう。
大きくなったら、母さんやばあちゃんを守ってくれ。
それが男ってもんだ。
父さんはそれが出来なかった、ごめんな。
だから、宙、頼むよ。
お袋、俺を生んでくれてありがとう。
先に逝っちまう親不孝者でごめんな。
みんな本当にありがとう。
杉山 真
手紙を読み終えたアヤは、目を閉じたまましばらくの間、動かなかった。
やがて閉じていた目を開いたアヤは、傍らにいた宙の小さな手を握りこう言った。
「宙、パパはね、太陽になったんだよ・・いつまでも、輝き続ける太陽にね」
☆ ☆ ☆ ☆
数十年後
「じいちゃん、この手作りチックな本って誰が書いたもんなの?
わけわかんない話もあるけど、けっこうおもしろい話もあったんだ。」
高校生ぐらいの男の子が祖父に尋ねた。
「ああ、うーん・・・そうだ、お前はどの物語がおもしろいと思ったんだ?」
祖父は笑いながらきいた。
「そうだなぁ、ゴールドスロットってやつかな、へへへ。」
男の子は笑いながらこたえた。
「おいおい、お前、スロットのことわかるのか?まだ高校生だろ!」
祖父は苦笑いした。
「社会勉強ってやつさ!だって俺、学校の勉強なんて簡単すぎてさ!へへへ。」
「そうか・・まあ、母さんには内緒にしといてやるが、ほどほどにな・・・
その本はな・・それは、わしの父さん、つまり、お前のひいおじいさんが書いたものなんだよ。」
「へーっ、ひいじいちゃんって物書きだったんだ?」
男の子は興味深そうにきいた。
「ちがうさ、わしの母さんと父さんが若い頃、二人で『お題』っていうのを出し合って書いていたものらしいぞ。」
「へーっ、『お題』ねえ、なんかおもしろそうだな、俺もやってみようかな。
そうだ! ひいじいちゃんってさ、どんなひとだったのかな。」
「わしが三歳のときに亡くなってしまったからな、よくは覚えてないが、わしの母さんはいつも、太陽のようなひとだって言っていたな。」
「太陽か、なんかカッコイイね!」
「そうだ、とてもすごいひとだったんだ。
わしやお前が、今こうしてこの世にいられるのも、お前のひいおじいさんのおかげなんだからな。」
「そりゃそうだよね、ひいじいちゃんがいなかったら、じいちゃんも俺も生まれてこなかったワケだしね。」
「うん、たしかにそうだな・・・でも、それだけじゃないんだ・・・」
「え?」
男の子は不思議そうに祖父の顔をみた。
祖父は、黙って優しく微笑んだ。
FIN