夜景
俺は三十半ばのしがないサラリーマン。縁も魅力もなく独身。最寄りの駅から、とぼとぼと帰宅中。
俺はある角を曲がって、急に足を止めた。
すぐに女子高生が走ってきた。俺はその女子高生の前に立ちはだかった。
「何か、俺に用か?広島駅から、ずっと後をつけているよな」
夏の白いセーラー服を着た汗びっしょりの少女は黙っている。
「まァ、別にいいけど、じゃあな」
だが、それから後も少女は俺の後をついて来る。
「いい加減にしろよ。お前、一体誰なんだ?」
「………お父さん………」
「お父さん?ドッキリカメラか?俺は独身だし、まったく身に覚えがないぜ」
少女はまたもや口を閉ざした。何か悲しそうな目。何か動揺している。
…………………………
俺は次の瞬間、自分でも意外な言葉を少女に発していた。
「……お前、今日、ヒマか?これから、神戸の六甲山に行かないか?」
少女は嬉しそうにコクりと頷いた。
それからが、忙しかった。新幹線の券を二枚買い、空いているホテルを探し、二部屋予約した。
俺達は広島駅の新幹線口に行き、のぞみに乗った。
俺はビールを買い、ちくわを食べながら、ごくごく飲んだ。
少女はゆっくりと美味しそうに弁当を食べている。
「………お父さん」
「だから、お父さんじゃ、ないってえの」
「お父さん、私、神戸は初めてなの」
「お前、割りと頑固だな。それはそうとホントのお父さんとお母さんは心配してるんじゃないか?なんか、俺、誘拐犯みたい」
「お母さん、今、親戚のおばさんの家に泊まりに行っている」
「お父さんは?」
「お父さんは、あなたよ」
「バカか、お前!こんな若いお父さんがいるか」
「………だって、お父さんなんだもん」
少女は母と二人暮らし。父は少女が赤ちゃんの時に亡くなっており、記憶がない。なぜか、少し年の離れた男性に惹かれる。お父さんと口走ってしまう。
「私、林翔子です」
「あァ、自己紹介がまだ、だったな。俺は桜木隆三。三十五歳。当年とって、二十五歳だ」
少女は急に笑い出した。いい笑顔しているじゃないか?俺は思った。
少しずつ、翔子と会話が弾んできた。知らぬうちに俺は寝ていた。俺は肩を揺り動かされた。
「あァ?」
「お父さん、着いたわよ」
「ビールの飲み過ぎで寝ちまったか」
…………………………
神戸の街は、もう、すでに暗かった。タクシーに乗って、六甲山を目指した。
「ホテルに寄らないの?」
「化粧でもするのか?」
「そうじゃないけど」
「まァ、俺について来いよ」
一時間後、俺達は六甲山にいた。摩耶山の山頂近くにある展望台広場から、夜景を眺めていた。
ふと見ると翔子は泣いていた。
「どうした?」
「感動。青くキラキラ光る宝石箱が一面に広がっている。綺麗過ぎる。こんな夜景はじめて見たわ。私の心の空洞が埋まったわ」
「そうか、それなら良かった」
そうだ。これを淋しそうな顔をしたお前に見せたかったんだ。青くキラキラ光る宝石箱を。
しばらくして、ホテルに着き、翔子は見知らぬ俺に心を許し、翔子自身の持つ青くキラキラ光る心の宝石箱から湧き出た叫びを、一睡もせず、堰を切ったようにとめどなく喋った。
三年後、桜木翔子は俺と結婚していた。新婚旅行は、二回に分けた。函館と長崎の夜景を見るために。俺は『お父さん』から『隆三さん』へ昇格していた。