思い出という名のもとへ
あーあ、疲れた。勇次は今日も仕事を終え、一目散に家に帰ってきた。
勇次の部屋は二階。ごろんと仰向けになり、天井をボーッと見つめて自分にひたるナルシスト。
二歳年上の姉と二人暮らし。数年前にオヤジは病気でオフクロは交通事故で亡くなっていた。勇次には恋人もなくただ一人ボーッとする時間を愛していた。
ガラガラと玄関が開いた。
「あっちゃー!また勇次に先を越されちゃった」姉の真澄が帰ってきた。
「勇次!ただいま」と真澄が大声で叫ぶ。
「おかえり!」
やれやれと真澄は思う。
いい若いもんが、こんなに早く帰ってきて、一体何が、面白いのだろう。
それは、真澄も同じことなのだが。
でも、真澄は勇次の食事を作ったり、洗濯物を洗ったりしている。掃除もしないと部屋がゴミだらけになる。
「何も、俺の面倒を見なくていいよ。自分のことくらい自分でするさ」
「何言っているのよ、何もできないくせに」
ただ腹筋運動だけは、小学校の頃から欠かさない。
まぁ、日課みたいなものである。
「姉貴は俺のことより彼氏とデートのことでも考えなよ」
二十五歳の勇次、二十七歳の真澄。
年頃である。真澄にはれっきとした彼氏がいる。相田秀昭、三十歳。明治大正亭堂の御曹司。真澄はよく、秀昭と土・日にデートする。
頭脳明晰・運動神経抜群だが・・・・・・唯一つ、勇次に劣る。そうなのだ。
勇次は普段ボーッとしているが、只者ではないのだ。足が短距離走・長距離走、両方とも速かった。中学時代、陸上部でベスト記録を塗り替えたスプリンター。
毎朝、信じられないことに二十キロを走っている。頭脳は高校時代、得意の理数系で全国模試七番になったことさえある。
流石の明治大正亭堂、相田秀昭もかなわない。といっても、相田は京都大学、中村勇次は広島大学で相田の方が世間一般に上である。
勇次は常に地元にいたかった。
広島という土地が自分に合っていた。
休みに一人で宮島に行きふらついたり、鹿と戯れたり、急勾配の弥山に登ったり、時に潮干狩りをしたり。就職も地元でサラリーマン。
「姉貴、今度の土、日、デート?」
「そうよ、日曜日デートよ」
「いや、つめていた銀色の奥歯が取れたんだ」
「まさか、死んだお父さんのように悪いことが起こるっていうの?」
勇次と真澄の父は歯が欠けたりすると、親戚に悪いことが起こるとよく言っていた。
「いや、なんでもないよ。秀昭さんに甘えて楽しんできて」
「いゃーねぇ、この子ったら」
そして、日曜日の朝。秀昭が愛車セルシオで真澄を迎えに来た。
「いってまいります」
「いってらっしゃい」
勇次は顔をしかめた。昨日、歯医者へ行っておけばよかったな。
・・・・・それから、しばらくして、自然と勇次は走り始めた。
何時間、走ったことだろうか。しかも、全力疾走で。
俺は一体、どこへ向かって行っている?かなりキツイが、まだまだ、走れそうだ。
でも、疲れたな。もう、目を閉じて走ろう。絶対、障害物にぶつからない自信がある。
それから、俺は一段と速く加速した。何かを感じた。そして、目を開けた。
大きな看板が見えた。『県民の森』と書かれてあった。
県民の森なら、デートドライブコースとして、そんなに変ではないか。
ここが俺のゴールなのか。少しホッとし、道路沿いにあったラーメン屋に入った。
テレビで緊急ニュースをやっていた。
『拳銃を持った二人組みの強盗が逃亡中・・・・・・・・・・・・』
気がつくと勇次はラーメン屋を飛び出していた。
生まれて初めての無銭飲食だ。
突然、秀昭の道に止めてあるセルシオが視界に入ってくる。
勇次は気を集中させた。
心眼が開花する。
車の中で秀昭と真澄が手足を縛られ、口はガムテープを巻かれていた。
『やってくれるぜ。俺達姉弟をナメるなよ』
しばらくして、そおっと男二人組みがやって来た。一人は拳銃を持っていた。
勇次は正面切って、その男に向かって行った。バーン!と音がした。
銃弾は外れ、次の瞬間、勇次の回し蹴りが、その男のボディに入り、男は崩れ落ちた。
『そう簡単に弾丸は当たらないさ』
勇次はすでに戦意喪失のもう一人の男の顔面に重いストレートパンチ!
そして、ボディに勇次のマシンガンパンチが炸裂した。
軽くノックダウンだ。勇次はセルシオのドアを開けて、秀昭と真澄を助けた。
「勇次、どうしてここが」真澄は泣いている。
いや、嬉し泣きか。とにかく助かった。
「すべて、オヤジが俺のハズレた銀歯とともに教えてくれた。思い出という名のもとに」
そう言って勇次は精魂尽きた。
バタンと音がして、勇次は地面でグーグーと眠り始めた。
子供のような顔で寝る勇次。さっきまでの勇ましい姿はどこにやら。
真澄は静かに心で勇次に語りかける。
『どうやって、ここがわかったの?どうやって、ここに来たの?』
真澄は熟睡している勇次の姿に若かりし日の父親の姿がダブッて見えた。
真澄は心底、そんな勇次が強く思え嬉しかった。また、逞しく誇りに思えた。