「実は俺、空手映画『シンデレラボーイ』が好きなんだ。主人公(シンデレラボーイ)がまだ悪役だった頃の敵ジャン=クロード・ヴァン・ダムに勝つんだ。あのジャン=クロード・ヴァン・ダムだぜ。俺も空手家・立花万丈と試合という形で戦ってみたいだけさ。なにせ、一度負けているからね」
「以前に志郎クンと喧嘩して勝った人ね。私には、まったくわからないけど、それが今の志郎クンの目標なのね」
「緑さんは何が夢なの?」
食事を終え志郎が聞く。
「そうねぇ、やっぱり小説か絵本かな。読んでくれた人の胸をゆさぶるような小説や絵本を作りたいのよ。例えば、それがエッセイでもなんでもいいの」
「なんか難しそうだね。お互い全然違う世界にいるようだから、よくわからないけど。頑張り過ぎて病気にならないでね。楽しくやってよ」
「ふふっ、ありがとう。兄弟なのに健一と雰囲気がまったく違うのね」
「生きるって何さ」
不意に志郎が言う。
「いきなりきたわね。人それぞれの人生観じゃない?ポリシー・価値観、でも当然それが他人を束縛したり傷つけたりしたらダメ。すべての人に共通な生き方ってあるかしら。一人一人が生きることに意味があるのよ」
「珍しく俺は自分流の哲学が好きなんだ。一言で言えば自由のある社会生活かな」
「でも、規律のない社会はダメよ。真の自由は規律ある社会の中にある」
「そりゃそうだ。また教えてくれよ。ちょっと出かけるから、鍵はちゃんとかけてね」
「もう晩よ、どこに行くの」
「ロードワーク、毎日一時間くらい適当に走っているからね。これをやめると体調が崩れるんだ」
志郎はマンションを出て行った。
緑は唖然としていた。
「本当に元気な子だわ。ちょっと面白いし変わってる」
健一がいなくなってから久し振りに気持ちが晴れやかになっていた。
次の朝も緑が起きた時には、もう志郎はいなかった。
玄関に十万円が置いてあった。
『これで食事しばらく頼む』走り書きがしてあった。
不思議と今日は腕を振るって料理を作ろうと緑は思った。
昨日同様に七時過ぎに志郎が帰ってきた。
「お帰り、ご苦労さん。お風呂も食事も用意できているわよ」
「サンキュー。じゃあ先に風呂に入ってくる」
風呂上りの志郎は冷蔵庫でしきりに何かを探している。
「もしかして、ビール?三段目にあるはずよ、未成年さん」
テーブルの上に缶ビールを置き、「今日もまた、えらいご馳走だね」と志郎は言った。
志郎はビールを一気に飲みほし、黙々と食事し始めた。
突然、緑が笑い出した。
「あなたって、食事する時いつも同じね」
「腹がへっているからね。喋りながら食べるのが苦手なのさ」
「ねぇ、志郎クンって小さい頃からワンパクだったの」
「そうでもないよ。結構、本を読んでいたな」
「意外ね。どんな本?」
「小学生の頃は、児童文学。中学からは推理小説にSF、時には純文学」
「例えば題名は」
「スタンダードな全集さ。『十五少年漂流記』とか『三銃士』・『小公女』・『秘密の花園』・『モンテ・クリスト伯』・『ロビンソンクルーソー』。推理小説はアガサ・クリスティとかクロフツが書いたものが好きだね。アガサの『アクロイド殺し』をはじめて読んだ時は、ド・ビックリ!だったよ。SFはペリー・ローダンシリーズ、これは長くて途中でやめたけど。純文学は『金閣寺』・『人間失格』、フランソワーズ・サガンが未成年の時に出版した処女作の戯曲『悲しみよこんにちは』など図書館でよく読んだぜ」
「私もアガサ・クリスティは大好きよ。志郎クンが言ったように、時々、独特な文章トリックにやられたって感じね」
「アガサの人生にも興味ある。深く調べようとは思わないが。それぞれ様々な人生があるからね。彼女が第二の結婚で幸せになれたのならそれでいいじゃん」と志郎。
「まさか志郎クンとこんな話をするとは思わなかった」
「それじゃあ、アルコールがだいぶ抜けたので、ちょっと走ってくる」
志郎は、ジャージに着替え出て行った。
「一体こんな生活がいつまで続くのだろう」と緑は考えた。
確かに楽しいけれど健一のことは忘れられない。
それに、もうすぐ志郎もいなくなるはずだ。
そろそろ本腰を入れて素晴らしい小説や絵本を作ろう。
そして、今のうちに真剣に志郎の話を聞こう。
彼の話は、面白いうえに何か参考になるような気がする。
『私は彼に何もしてあげられないのか』と緑は自分の非力を感じた。
頬に痛みを感じ、緑は目覚める。
「あっ、ごめん。また平手打ちしたぜ。こんなところで寝たら風邪引くと思ったから」
志郎が謝る。
「いいのよ、知らないうちにリビングで寝たみたい。ロードワーク終わったのね。また、シャワー浴びないと」
「いや、寝る前にする」
「それじゃあ、もっと色々なこと話そうよ」
「いいよ、さっきの読書の続きかい」