パーム国から来た青年

 

南国パーム国から、なぜシンは日本に来たのか?

それは、同じ年のアヤが以前、日本で数年暮らしていて、帰国後、マラソンランナーの

優秀な女子選手を、目の当たりにしたと、しきりに彼に熱弁したためである。

その話の影響を受けたのだ。シンは二十二歳で陸上をやっていた。と言っても、どこかに所属している訳でもなく、ただ時間があったら走っていた。

 小さい頃から、いつも走っていた。もう、走るのが日課になっていた。夢は大きくオリンピック選手だ。さらに言えば、世界一の金メダルを首にかけたい。

 シンの職業は郵便屋さんだ。もちろん、走って郵便物を届けていた。雨の日も、風の日も。たとえ、重たい荷物がある時でも。シンは町一番の力持ちでもあった。

 シンは思った。アヤの話からすると、そんなに優秀な女子の陸上選手がいるなら、当然男子選手もいるに違いない。

 シンは日本に行こうと思った。日本の選手と切磋琢磨して、今まで以上に速くなり、夢に一歩でも近づきたい。

「でも、何のコネもなく日本に行っても、どうにもならないわよ」とアヤは言う。

「それはそうだけれど、陸上王国、日本にいるだけで何かが始まるような気がするんだ」とシンは自分の正直な気持ちを言った。

「毎日、毎日、生活費を稼ぐだけで、身体がボロボロになるわよ」アヤは心配する。

「俺は町一番の力持ち。少々のことじゃあ、根を上げない。日本に行ったら、きっと何かに気づくと思うんだ」シンは答える。

「そんなに言うんなら、もう止めないわ。陸上の話なんか、するんじゃなかった」

 

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 狭いアパートで、シンは洗濯をしていた。毎日の日課である。

日本に来てからシンは忙しく働いていた。何もかも一人で全部しなければならない。

 日給の肉体労働は続く。アパートに帰ったらもうグッたりで、走る元気もない。

やっぱりアヤの言う通りだった。

『今、帰る訳にはいかない』シンにもアヤに対して男の意地というものがあった。

 どうせアヤもすぐに帰ってくると思っているに違いない。

 だからこそ、今帰る訳にはいかない。食費は高い。友達もいない。

 何一ついいことはない。南国パーム国生まれのシンが日本に来て半年が過ぎた。

 季節はもう冬だ。

 ある夜、寒さで震えながら歩いていると空から白いものがパラパラと降りてきた。

 いつかアヤから聞いていた。

 もしかすると、これがそうかもしれない。間違いない。

「雪だ!」シンは確信した。アヤの話から、すぐにわかった。

シンは生まれて初めて雪を見た。なにせ南国育ちである。

噂には聞いていた。雪だ、雪だ!シンは子供のようにはしゃいだ。

これが、たくさん積もると、子供達は丸い玉を作って投げ合ったり、丸い人の形をした

雪だるまというものを作ったりすると彼女は言っていた。

 あァ、ひんやりとなんて心地よいのだ。

 手のひらに積もる雪。シンはハッとした。きれいだ。

アヤの美しく可憐な顔を思い出した。  

しばらく、じっと手のひらの雪を見ていると、溶けて消えてしまった。

なんて、はかないんだ。

その瞬間、シンは日本を旅立つことを決心した。降りしきる十二月の雪とともに。

そう、一番大切なものに、今、気づいたのだ。