ずいぶん 長い時間をかけて
村田喜代子さんの「焼野まで」という、
まるで
彼女自身の闘病生活を記した日記みたいな、そんな受け止め方をして読んでいた。。


当方も癌〜リンパ節、筋肉まで、摘出手術を受け、
夫をステージ4の癌発覚後 3ヶ月で亡くした経験を踏まえての、
感想や気持ちの吐き出しをしながらの読書になっていたと思う。


夫は薬剤師で、私はあまり勉強熱心ではない看護婦を数年していた、医療関係者だったから
北海道の片田舎に暮らしながら
地域の医療格差を自覚して生きてきた。
受けられる医療は、均等ではないのだ。

ツテを得ての、最新医療を受けるにしても 家族的に、経済的に、生活基盤を揺るがす問題になるし 
TVでひと頃の、最新医療紹介の番組を苦々しく受け止めていた側の人間です。

それでも 道東の片田舎で受診したDrが、札医の出張医だったから
見つけた副腎腫瘍の検査と治療で、札医に約2ヶ月入院手術したことがある。
その時は、子供も大きくなっていたし夫の収入も自営に変わっていたから、経済的心配はしなかった。

でも言われたことがある。
札医での同室患者が、保険適用前の抗がん剤を使用するのに月に ン百万、と聞いて
「悪いけど それはさせてあげられないよ」、とクギをさされた。
そうならなかったのが、幸いだったけれど 結局 彼女は数年の後に亡くなった。



この放射線治療をする九州の存在は、聞いたことがあったが
自分の身に、夫の身に置換えて考えたことはなかった。


今は 片田舎でも、肺がんの痕跡が無くなると聞いている。
だからといっても、転移した部位が命取りになるのはよく聞く話。

誰かの治療歴が、症状も部位も違う 違うがん患者の参考になるワケもないのだ。


この本の 放射線治療を受ける患者は、自宅を離れて部屋を借りて自炊をしながら通院をする暮らしを選んだ。
放射線を受ける毎日は、食欲も料理をする余裕もなく ベッドに倒れ込むのが精一杯。
同じ患者でも、周囲の小さな病院に入院して治療に通ってきているのを知って、彼女の選択を後悔したりするのは 
誰かに世話される、その介護が少し羨ましかったようだが
それより何より、身動きできなく飲食もままならなく辛くても、
独りだけの気ままと自由を手放せなかったから、
病院での団体生活を選ばなかったのだ。




この本のあとがきを、村田さん本人が記しています。
中に 少し驚いた文言がありました。
それは村田さんの言葉ではなく、年上のご友人のコトバ。
「あのね 病気になって入院すると、大変なのよ 。病気なのに早起きして薬飲んだり 検査したり。夜は9時に灯りが消えてね。 病気になった上に集団生活させられるのよ。」 
気の毒にね、と私は心から同情した。 病気で入院したことは一度もなかった。
「その上 ご飯はまずくて、検査の血 ばかり 沢山取られるの。。。」〜と続くのだが、、、。


医療関係者側からすると、
「病気なのに早起きして薬飲んだり検査に追われ、9時に灯りが消え
病気になったのに集団生活をさせられる。。。」と、目からウロコの
確かな集団生活の指摘。

若い時からの、病気や手術を受けてきた身としては 最近の個室対応を有り難く思っている。
夫の闘病中は、同室に話し相手ができるかもしれない、と期待した彼だったが
4人部屋の他3人は昼間でも、仕切りのカーテンをしていて
私達の会話さえ控えめに気遣うほどで、会社関連のお客様もみえるので早々に、個室希望して移ったのだった。
夫自身は、結構がっかりしていたし その病院はその頃はまだ、終末医療病棟が無かったので なお残念だった。

でも 村田さんは、完治されてよかった と心から思います。






村田さんの受けた、放射線治療とその背景に 専門家のわかりやすい説明を見つけたので、無断拝借しました。

私が 今も残念に思う、 乳癌で治療出来ない選択をしたままに亡くなった、
作家の杉本章子さんの事も記されています。
先日、宇江佐真理さんの再版を買ったが 杉本章子さんの再版さえされないのは、遺族がいないからだろうと思うのだ。

拝借しましたが、興味がある方は 読んでみてほしい。
↓↓


村田喜代子さんのケース】子宮体がん 標準治療の手術を拒否する選択


がん患者さんにとって参考になることも多いでしょう。2011年、東日本大震災の翌日に子宮体がんの告知を受けた芥川賞作家の村田喜代子さん(71)は、このほど放射線治療を選んだ経験と原発事故を誘発した大震災を重ねて描いた最新刊の長編「焼野まで」を上梓。闘病の節目の5年に合わせるように、旭日小綬章の受章が決まりました。

 子宮体がんは、一般に手術が標準治療になっています。子宮と卵巣、卵管を切除。施設によってはリンパ節をあわせて切除することもあります。がんの根治が目的で、村田さんも手術を強く勧められたそうです。


確かに早期なら手術で子宮体がんを根治できますが、女性ホルモンを分泌する卵巣を失うと、更年期障害などが強く出ます。さらには排尿・排便障害、リンパ節切除に伴う足のむくみもひどい。術後後遺症で「執筆活動が困難になる」ことを恐れ、村田さんは手術を拒否。子宮頚がんと違って、医学的には勧められない放射線治療を選択しています。

福岡の自宅に夫を残して鹿児島でマンションを借りて1カ月。毎日通院しながら強い放射線のピンポイント照射を受け、がんは消え、節目の5年目を迎えた今も幸い転移はないそうです。

 作品では、放射線治療に伴う倦怠感(放射線宿酔)から夢うつつをさまよう主人公「わたし」の姿が描かれるシーンがあるように放射線の副作用もゼロではありません。
「わたし」は放射線酔いに苦しみながら、事故で崩れた原発を幻視したのはとても苦しかっただろうと察します。放射線で皮膚や内臓の粘膜がただれることもまれではありません

それでも、副作用は一時的。切除手術に伴う後遺症は長く続く点で、その影響は大きく異なります。治療後の生活をどうするか。そこに焦点を当てると、標準治療の手術を拒否して、放射線治療を選択することも、その人の価値観によってはあり得ることでしょう。






村田さんの「がん友達」で、昨年乳がんで亡くなられた直木賞作家の杉本章子さん(享年62)も、がんの治療をほとんど受けなかったことが話題になりました。

 杉本さんは幼いころに小児麻痺を患い、亡くなるまで松葉杖が手放せませんでした。「松葉杖を脇で挟めなくなるのは困る」と手術を拒否。わずかな間でも書けなくなることを恐れて抗がん剤治療も断ったそうです。執筆しながらご両親の介護もされていて、介護ができなくなることを恐れたのも、手術や抗がん剤を拒否した理由と伝えられています。

 
村田さんの作品には、がんで放射線治療を受ける妻の姿を夫の視線で描いた「光線」や、放射線治療でがんが消えた妻が夫と一緒に南国の海岸を歩く「原子海岸」といった短編作品もあり、患者さんががんと向き合う上で参考になるかもしれません。

 おふたりとも、治療法選択の軸に据えたのは、自分や家族との生活です。ぜひ、読者の皆さんも参考にしてみてください。


著者紹介  →無断拝借しました。     
       2016年当時

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など多数。