長文となります
2017年の頃の話のため
記憶が曖昧な所があります‥.
ご了承くださいm(__)m
Yさんを紹介してくれた
Oさんとの出会いは
前日でした
隣のベッドで、同じ時間に
同じ抗がん剤治療をしました
Oさんは小柄なおばあさんで
親しみやすい方でした
話しかけやすい方で
色々な方とすぐ仲良くなり
○○さんが隣の病室いるから
挨拶してくる.‥と
よく違う病室に行ってました
Oさんの元にもよく人が集まってました
Oさんとは連絡先を交換し
退院後はよく電話で
話してました
私の母とも仲良くなり
電話も私の後に母が話したり
してました
副作用のことや食事のことなど
他愛もない話をして
電話の最後は
「お互い頑張ろうね」
励まし合ってました
同じ病室になったのは
1回目と3回目の抗がん剤の時
だけでした‥.
その後はOさんは採血の結果や
出血があったりと‥.
抗がん剤をスキップすることが
あり、同じサイクルでの治療が
ズレてしまい‥.
抗がん剤での入院で会うことがなくなってしまいました
お互い診察の日が同じ時があり
待合所で会うことは
ありました‥.
その時はOさんが先で
次が私だったのかな‥.
診察後に
Oさんと採血の結果など
見せ合いっこしました
腫瘍マーカー3000越えちゃったと見せてくれました
(゜ロ゜;ノ)ノ
私も母も見間違えじゃないですか?と疑いました‥.
記載してある紙を確認したら
3000を越えてる数値が
書かれてました
たまたま高かっただけかもしれませんよ‥.と声をかけましが、Oさんは何とも言えない顔を
されてました
記憶が合っていれば
2017年11月頃だったと
思います
その数ヶ月後の2018年1月頃にOさんから連絡がありました
「今、入院してるの」
「みーちゃんと同じ人工肛門になっちゃった」
驚きで頭が真っ白になりました
Oさんは腸閉塞になり、
救急車で運ばれたそうです
手術しないと危ない状態だったみたいで緊急手術だったと
聞きました
私が外来でアバスチン単独治療の日にOさんの病室へ
母とお見舞いに行きました
病棟、病室はOさんと出会った
婦人科病棟でした。
抗がん剤治療でもお世話になった看護士さんに会い
Oさんに会いに来たことを
伝えました。
お見舞い時間は14時以降と
決まっていて少し早かったのですが‥.
看護士さんに許可をもらって
会いにいきました。
病室に行くと窓側のベッドに
Oさんはいました。
[みーちゃんと一緒の人工肛門だよ‥.]と悲しげ顔をしてました
私も受け入れるのに時間は
かかりました‥.
Oさんは緊急手術で心の準備もなく、人工肛門となり、
受け入れずにいたのかと
思います( ノД`)…
「ストーマになってもお腹が苦しくて、食べても戻してしまうこともある」
「みーちゃんはどう?」
Oさんの腕には
黄色い大きい点滴袋
(高カロリー点滴)が
繋がれてました‥‥
私もこの点滴を経験したことがあるので、食事とれてないのが分かりました‥.
少し前に会った時より
痩せていました(´д`|||)
ストーマになりたての頃は
私もお腹の痛みがあったことを
話したりしました
30分くらいOさんと私と母で
話しをしてました
「また来るね」と約束し
病室から出ようとしたら
Oさんが点滴棒を引きながら
廊下まで見送ってくれました
「体力つけなくちゃ」
そう言って、廊下の先まで
来てくれました‥.
抗がん剤治療後によく二人で
歩いた廊下です‥.
頑張り屋のOさんと
握手してその日は別れました
電話で話したりして
次に会う時は
ストーマのカバーをプレゼントしようかと用意もしてました
ですが、そのプレゼントは
渡すことができませんでした
Oさんの訃報の知らせを
聞いたのは同室で仲よくなったMさんからでした‥‥
記事です
Oさんが少し前に亡くなった
ことを
Mさんは看護師さんから
特別に教えもらったようです‥.
本来は個人情報のため
教えくれないそうです
Mさんは私がショックを
受けないよう、とても気を遣ってくださいました
亡くなったことは
悲しくショックでしたが
癌に対し怒りが込み上げて
きました
癌になって知り合った
友達になったけど‥.
癌なんて、なければ
大切な友達二人を
失うことなかったのに‥.
多くの人を苦しめる
癌細胞が憎たらしいです
癌なんて
大嫌い
癌細胞よ
どっか行け
皆の中から
消えちまえ
これは私の心の中で
いつも思ってること
願いです
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拙いブログを長々とお読みいただきありがとうございました
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