人に生まれるという事
今日改めて考えさせてもらう機会があった 
  
 
人は意思の疎通を緻密に伝達できて
感情や理屈理論を語れる生き物であるという事
 
しかし 生き物として頂点かと言われたら
見る人にとってはそうじゃないかもしれない
見なくてもそうではないかもしれない
  
それに優しさや思いやり
それはどんな生き物や命にもあるのだと思いたい
 

が、しかし人間は地球の生き物の中ではなぜかありとあらゆる舵を取り
挙句の果てに飛行機やロケットまで開発してしまい
宇宙にまで思いをはせてしまう
探究心旺盛で
あれもしたいこれもしたいと
我欲に充ちすぎてしまう
 
それが人間って生き物
 
人間にしか出来ない事は多様にあるのかもしれない
 
 
何だかスケールがでかくて
アレなのだが
 
生き物に生まれてくる事

それは命を大事にしなきゃいけないゾ!
って言うミッションではないのかと思えてならない
 



 
実は 自分には命をたってしまった愛してやまない親族がいる
 
 
命つきるまで天命を全うしなきゃならないというミッションの意に反し
 
 
このミッションの旅の途中で命を放棄してしまったのだ
 
 
 
前置きしたならば大馬鹿者ではあるのだが
 
 
しかし魂は生きているのではないかと思える事が今までが多々あった 

 
命がある内にも察知したし
亡くなった時間にも感じ
その後にも何度も夢知らせがあった
 
 
とにかく 後悔した  と言われた
 
 
あんなに生きている時は死にたがっていたのにだ
 
死んでみなきゃ分からないって亡くなる2日前に言っていたのにである
 
 
 
幼い頃から今の今までそれらを察知する事は沢山あったが
 
 
だからなのか 身体が無くなっても生き物は思いを残すんじゃないかと思う様になった
 
 
 
生きていた時に使命(ミッション)を果たせなかった後悔を

残した思いを
生きている人に
身体がある内にしか出来なかった色々な後悔を残すのだと
身体がある内にこうしてほしいと伝えているのだなと
 
  

自分は少なからず
 
 
誰が見ても良い事を沢山してほしい
誰からも喜ばれる人
誰かから惜しまれる人
生きる事に努力する人
 
 
それが人として命あるものとしての使命なんだと思えてならない
 
 
 
 
できる出来ないは置いといて
それが生かされ生きるミッションなのかなぁと
考えさせられたのだ



最近は自らの命を終えてしまう人が多い
 
自分も少なからずあった
いや、多くかな
こんな事 偉そうに講釈たれながらも
何度も何度も...
 
しかし 生きてみてほしい
身体があるうちにしか出来ない事がきっとあるはずなのだ
 
  
ゲームの様にGAME OVERでは終わらず
次のステージで人として生きたものが積み上げられる感じなのかもしれない