丁度、母が私の年齢位の時に
母は子宮頸癌になり
大騒ぎの日々でしたびっくり

その5年くらい前に
乳がんになり闘病している叔母が居て
母とは近所に住んで行き来していたので
叔母の手術、抗癌剤治療、再発
それを見ていて
母はとても怯えていたのです不安

でも、医師からの話では
母の癌は初期の初期で
全て取り除けば大丈夫で
抗癌剤治療も必要なくて
叔母の病気の方がとても重症でガーン

そんな叔母が
私達姉妹と母の事を知っているので
私達の代わりに

自転車で15分の病院を
何度も往復してくれたり
色んな世話をしてくれましたにっこり
流石に私達姉妹も手術の日は
行きましたが、その夜は病院に任せて
叔母と3人でご飯を食べに行きましたカレー焼肉

本当に薄情な私達でしたが

その手術に至る迄の間に
心身ともに疲れさせられて
手術の日も行きたく無いくらいでしたネガティブ

私はそのまま一週間叔母の家に泊まり
毎日病院に顔を出しました
何を話しても不満ばかりで
叔母の事も

『これだけ世話になってても言うか!』
って位の悪口を言って🤬

それは、悪口と言うより
私達姉妹と叔母が仲が良くて
やきもちだったと思いますニヤリ

母は、自分がどれだけ人に
嫌な思いをさせる言葉を
吐いているか?自覚がありませんムキー

退院の日も私は自宅に帰って居ましたし
妹は二度と病院に行きたく無い

と行きませんでしたえー

なので叔母が自転車で来てくれて
荷物を持って
母は自転車の叔母に
荷物を持たせて
自分はタクシーで帰りました🚕凝視

タクシーで帰るなら
自分で荷物を持って帰れば良いものをにっこり

誰かに来て欲しかったのです
一人で帰るのが寂しくてネガティブ

素直さがない物申す

素直に、誰にでも
ありがとうを言える人なら

人に不満を感じる前に
感謝を出来る人なら

こんなに寂しい時間を
過ごさなくてよかったのに真顔

と思います

母が手術をした頃から
私達姉妹は母とは距離を置いて居たので
電話は勿論会いにも行きませんでした

この頃から17年
どんなに寂しい時間だっただろう汗うさぎ

悲しくなります泣くうさぎ

でも、私達はもう傷つきたくなかった
しんどかった
私は神経症にまでなった

子供をここまで追い詰めて、、、ゲッソリ


ずっと、ずっと、ずっと
結婚する前から
子供の頃からニコ

私は母の様にはならない!

母の様な親にはならない
絶対、自分で幸せを掴む!


そう思ってがむしゃらに生きて来ました
母の生き方を反面教師にして照れ


けど、遠い遠い昔
母の若かりし頃を思うと
母もがむしゃらに生きて居ました笑い泣き

この子を自分で育てる!

そんな思いを胸に、、、
きっとそうだつたのです真顔


そのがむしゃらに、と
自分で何とかする!

その気合いは引き継がれたかも知れないお願い


けど、私のメンタルは母ほど
強くはなかった

母から解放されたいと思ったチーン

そうしないと
わたしは不幸になる


反面教師で生きるには
その非道さも必要でした真顔


あの頃にもしも戻ったら

多分また、同じ様に
母から離れるだろうなぁとは思いますニヤリ

反面教師で生きて来た


この答えに正解はなくて

その時私は

自分の幸せになる道を

選んだ、と言う事なんですねおねがい