13年前に
大好きだった祖母が亡くなりました👵
あの頃はまだ神経症真っ最中で
その上、東日本大震災もありました
そして、計画停電もあり
お友達の経営するお店に
一緒に居させて貰ったり
日々自分の身の置き所を求めて居ました
そんな時に祖母の訃報で
荷物を詰めるとか
持って行く物を考える余裕まなくて
パジャマだけ持って行きました
そして、喪服を着て新幹線に乗り
そのまま向こうでも
一日中喪服を着ていて
着替えも忘れて
一日中泣いていて
凄く疲れていたのを思い出します
祖母が、いよいよ危ないとなった時に
見舞いに行っていた従姉妹が
連絡をくれて
私の話をしたらしく
「○○ちゃんも心配してるよ」
と言ったら
「あの子は可哀想な子や」
と言ったらしいのです
祖母は、私が結婚して子供も出来て
「優しい旦那で、ええ旦那で、大事にしなあかんで」
とよく言ってたので
私が幸せに暮らしてる事は
分かって居たはずなんですが
その話を聞いた当時は
祖母の中では、子供の頃もそうだけど
結婚してからも、遠い土地で
夫婦だけで暮らして
何かと苦労している
そう思って居たのか、、、
と考えて居ましたが
今年になり義母と義兄が亡くなり
亡くなる前に色々話をした事を思い返すと
人間の最後を迎える頃には
走馬灯の様に昔の事が蘇るのか、、
と思ったものでした
そして、認知症になってしまった母は
昔の事は覚えている様で、、、
そんのこんな事を考えると
祖母は最後の頃には
2歳で父親が家を出て
母と二人になった私が
思い浮かんだのだろうか?
だから
「あの子は可哀想な子」
のままだったのだろうか?
祖母の側にもっと居られたら
祖母とその当時の暮らしを沢山話せたら
2歳の可哀想な子供が
こんなに精一杯毎日を
幸せに生きている姿を
焼きつかせて
亡くなる前にそんな心配をかけずに
済んだのになぁ〜
とふと思い出しました
神経症、パニック障害になり
おまけに、当時はリーマンショックもあり
結婚して12年経って初めて
手に入れた、初代ステップワゴンも
手放す事になり
経済的にも我が家の危機でした
考えたら、あの頃
祖母が亡くなった頃の前後が
人生で一番苦しくて
○ぬ事ばかりをいつも考えて居ました
でも、またそこから這い上がって来たよ
お婆ちゃん👵!
私は案外陽気で前向きだったわ
もう、2歳の可哀想な子じやないよ