『 我々の通った道が教科書になる 』

これは、戦後初自衛隊10万人規模を超える活動を指揮した故・君塚東北方面総監が残した言葉である。




いろいろ書きたい事は有るのですが、3.11と言う事で本日は東日本大震災から8年を振り返ると共に、多くの活躍を見せて国難を乗り切り人命救助活動に当たって下さった中から、自衛隊の取った行動や活躍をご紹介したい。

シナリオ無き真の防災訓練を描いた 『 みちのくアラート2008 』では反省や課題点も多く真にこの解決に当たらねばと危機感を以て臨む準備を進めていた矢先にそれは起こった。

2011.3.11 PM14:46 東日本大震災が発生。

この国難に立ち向かうべく史上初の陸・海・空自衛隊を統合指揮したのがJTFである。





これを現地で指揮したのが時の陸上自衛隊東北方面総監 JTF君塚指揮官。たしか??東北方面で初の陸幕になられた?かと記憶しておりますが。



福島原発ヘリ放水作業とか当時はいろいろメディアとかに言われましたけど、使用済み核燃料棒が露出して剥き出しになるのを1分でも1秒でも遅らせる必要が有ったことや、後に東京消防庁のハイパーレスキューの活動による放水作業の成功に、石原慎太郎都知事が涙ながらに感謝した事も決して忘れてはならない出来事でした。

よろしかったら是非ともこのような映像をご覧頂き、日頃から国を国民を守る方々の活躍に目を止めて頂きたいと思う次第です。



この中には、『 発災後6分で大英断を下し 可動艦艇は全艦出航せよ! 』と海上自衛艦隊総監 倉本海将の指令が出され、






そのさらに6分後には太平洋面をカバーする横須賀基地の高嶋海将から横須賀全艦発進せよ!との命令が下る。




私は発災後、本社に流れてくる陸上自衛隊ヘリ映像で故郷が大津波に呑み込まれて行く姿を目のあたりにして、すぐさま当時の上司(現在はとても偉い方ww)に直談判して快諾を得て、次に当時の副社長に直談判して快諾を取り付けて、生まれたばかりの子供と家族が心配だといっていた同郷の同僚後輩の首を捕まえて道連れに。(笑)

陸路で一路宮城を目指し翌日には支援活動を開始していました。

英断を下せるのも、指揮を執るのも、どんな行動をどんな考えで行うのも、優先順位付けを行い効果的な活動を図るのも全部人間がやってるんです。

今ではコンバットコントロールシステムやAIが進化していき大分効率化は図れてくるのでしょうけれど、受け入れる自治体や行政がまだまだ精神的にも論理的にも能力的にも大人に成らなければ効果は十分に得られないと私は考えて居ます。

防災会議などで自組織の都合ばかり語る自治体が多いのには驚きを隠せませんね。

ともあれ、そんな中にあっても素晴らしい活動を続ける自衛隊のみなさんには本当に感謝してもしきれません。

これからも皆さんの活躍を応援したいと思います。