前回のブログ記事は次のツイートをみて、カントがコペルニクス的転回という「対象に認識が従うのではなく、認識に対象が従う」という話を思い出したからだ。このように物自体のすべてを知り得ないのは人間の能力の制限によるものだと考える。

 

 共産主義の根底にある唯物論も「在るから思う」であり、「思うから在る」ではないということだから、「対象に認識が従う」ということを言ってるにすぎない。

 

 日本では私のブログもツイートもアクセス0によくなるので、「在るから思う」だけの人達には存在しないも同然である・・・。(でもいいねついたりするので不思議)

 

 本当に下記の映画の底の方にいる少女のような気分になる・・・。

 

 

 なんだかぼんやりとした不安を憶える・・・。