前回のブログ記事は次のツイートをみて、カントがコペルニクス的転回という「対象に認識が従うのではなく、認識に対象が従う」という話を思い出したからだ。このように物自体のすべてを知り得ないのは人間の能力の制限によるものだと考える。
二次元人がいたとしたら、二次元人には理解できないというより(理解できたとしても)証明できない事象だと思う…。 https://t.co/EYPuDHJh3H
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 14, 2022
共産主義の根底にある唯物論も「在るから思う」であり、「思うから在る」ではないということだから、「対象に認識が従う」ということを言ってるにすぎない。
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 10, 2022
日本では私のブログもツイートもアクセス0によくなるので、「在るから思う」だけの人達には存在しないも同然である・・・。(でもいいねついたりするので不思議)
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 13, 2022
本当に下記の映画の底の方にいる少女のような気分になる・・・。
プラットフォーム(吹替版)
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 16, 2022
→新自由主義で闇に隠れた部分に光をあてた作品だと思う。https://t.co/jRAdpdygfl
わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿してゐる、大きな地面が存在する限りは。
— 芥川龍之介bot (@akutagaha_bot) July 10, 2022
(昭和改元の第一日)
『侏儒の言葉』
なんだかぼんやりとした不安を憶える・・・。
「果して私が狂人かどうか、〔略〕たとひ狂人でございましても、私を狂人に致したものは、やはり我々人間の心の底に潜んでゐる怪物のせいではございますまいか。その怪物が居ります限り、今日私を狂人と嘲笑つてゐる連中でさへ、明日は又私と同様な狂人にならないものでもございません。」
— 芥川龍之介bot (@akutagaha_bot) July 12, 2022
『疑惑』
『天災よりも人災の方が忘れた頃にやってくる』
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 13, 2022
⇒ https://t.co/gSrTf4GULh #アメブロ @ameba_officialより
『「人間の尊厳」とは何か?』
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 6, 2022
⇒ https://t.co/gD28J2zf8Z #アメブロ @ameba_officialより