私も人間の尊厳について色々考えたが、「尊厳に値しない人間もいる」という考え方の人がいるのも事実である。
「弱者に寄り添う=施し」上から目線などというツイートがおすすめに出てくる。
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 2, 2022
自分は弱者じゃないと何の根拠もなく、自信過剰というか、自尊心強い人多いから新自由主義というより、社会ダーウィニズム、もっと詳しくいうと社会スペンサリズムが日本に蔓延ってしまったんだろう。金や武器を持たない
芥川が「君たちも大抵蟹なんですよ。」と述べているが、その時代でも「自分たちは蟹じゃない」と思ってる人の方が多かったんだろうな・・・と思う。弱いから、劣ってるからと言う相対的な理由で、尊い、尊厳に値するなどが決まるものでもなかろうに・・・と思う。
『社会ダーウィニズムのいう進化した人間とは?』
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) June 24, 2022
⇒ https://t.co/tBuGYy0cR6 #アメブロ @ameba_officialより
臣民分際論の動画ですね・・・。 https://t.co/aW8rxxepuD
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) June 26, 2022
「表面上消え去っている国家主義なども、いつ復活してくるかわからないのです。」と岩崎氏は述べているが、今まさに「復活の時が来た!」と封印を解かれた魔物のごとくうごめいている・・・。
社会ダーウィニズムだと権利は強者、優秀な者のみに与えられるものであり、それが正義とされるが、基本的人権は相手に何かをしたから生じるという性質のものでない。現代は経済も「もやウィン」や広告で「進化」という言葉をよく耳にするように社会ダーウィニズムに支配され、この世界は強者が弱者を支配する場のようになってしまっているが、それでも、基本的人権を認めるなら企業には安全配慮義務が生じるし、人間的価値を含まないような契約なら公序良俗に反するので無効となるものなのだ。義務に重きをおかれる縦割り社会でも、相撲部屋で親方が弟子をリンチで殺した事件のように、弟子をどう扱おうが親方の自由というものではないだろう。
本当に、弱いから、劣ってるからと言う相対的な理由で、尊い、尊厳に値するなどが決まるものでもなかろうに・・・と思う。
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) July 5, 2022