ツイッターでフォローしてないけどタイムラインにおぎの氏のツイートがあったのでコメントした。

 

 

 

 ユーチューブもコメント削除されるし・・・。

 

 

 

 

 かなえ先生が殺意について17分頃から解説している。「・・・愛情、憎しみも実は依存なんです。・・・相手への甘えでできてたりとか・・・」

 愛情、憎しみも主体となる自己の感情であるが、客体である他者が、それを甘えととらえるか、人間としての義務としてとらえるかは選択の余地のある問題である。一方的に甘えという言葉で片付けることは相手に憎しみで評価することと同じで、客体側も利己的に自分に甘えているのである。

 

 

 

 

 本当に「見ざる聞かざる言わざる🙈」の教条(dogmaha)が賢い生き方なのだろうか?。

 

 

 「100億人ー私達は何を食べるのか?」というドキュメンタリーの中で次のようなことが述べられている。

 「本来は基本的人権に当たるものが投資商品として扱われるようになってきています。食料へのアクセス、水へのアクセスなどは市場の売り買いの対象にされるべきものではありません」

 

 

 

 

 

 

 

 「無用の用」という概念もなく、「Might is right.」で何でも通用すると思っているのだろうか?。

 ステイグリッツ教授の提言でもオミットされてしまうなど、幻影の街に迷い込んだ気分になる。

 命題の真偽を決めるもの・命題の正当化について、社会構成主義という考えがある。
 この考えは命題の真偽を決めるもの、命題を正当化するのは社会的な出来事や力だとする。社会的要因によって命題が生まれる・受け入れられるとする。

 

 

 社会構成主義だと命題の真・偽など問題にならない二分法の論理になるのだが、こんな先に結論ありきの正義など魔女裁判と変わりがないと思う。

 

 

 

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 交通誘導の警備員さんにも負け組とか思ってる人多いだろうが、見たくないものは見ない「安全ではないが安心している」人たちには必要な存在で、危険に気づかなければ事故るだけ。こういう危険に目をそむけてみないのも自由だが、それなら後で騙されたなど言わないことだと思う。