メンタリストDaiGo氏の復活のニュース。
DaiGo “完全復活宣言” も視聴者は離れたまま「人は簡単に変わらない」厳しい指摘も - 記事詳細|Infoseekニュース https://t.co/Q41nC0iLTF
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) November 23, 2021
改めてメンタリストDaiGo氏の発言について考えてしまった。
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【懲役太郎】皆さんはホームレスより猫の命が大事ですか?【かなえ先生】
0:00 始まり0:20 本編「ホームレスの問題。もしかしらた明日は我が身」1:20 人の命よりペットの命?私の命の価値はないの?2:27 あの発言はYouTubeガイドライン違反!4:25 増えているホームレスとその人たち相手の犯罪5:12 懲役太郎の思うホームレス問題7:00 かなえ先生が思うホームレス問題8...
自己の利益を目的に有益か無益か、または、価値が有るか無価値かを判断すればホームレスより猫の命が大事となるのだろうが、尊厳に値するか否かは一人一人の人間が目的自体として存在していることを認識すれば、ホームレスより猫の命が大事というのは、単なる利己主義(または目的論)であり、その考えに基づいて攻撃を加えるなら、一人一人の人間の尊厳から生じる権利(生来的権利)に対する義務の放棄といえ、攻撃を正当化する法律が最高機関である国会で正当な手続きで成立し、「法律は法律だ」と法実証主義的に従うなら、まさに、ニュールンベルグ裁判で示された「人間的価値を内包しない法律に抵抗する義務」に違反する「人道に対する罪」を犯すことになるだろう・・・。
現代日本では、国家は強者が弱者を支配する場と変え、法も「Might is right.」とするために、生来的権利(自然権)の実定法化である憲法から、生来的権利である基本的人権を排除し、民主制国家に要請される「人間の尊厳の保護と尊重」の保障の義務を放棄するために憲法改正しようとしているのだ。だからプロパガンダで「人でなし」としかいいようのない連中がもてはやされる・・・。
人間の本性として位置づけるものを反転させたら、その本質は人間というのは名ばかりの獣ではないのか?と思う。