いったい「幻影の街」とはどういうお話なのかというと・・・。(ネタバレ注意)

 

 美濃部亮吉氏は、「あの当時と今日とただ一つ違っていることは一般の国民の言論はそして行動はまだ自由であるということであります。」と述べているが、現代日本では一般の国民の言論はそして行動の自由は気づかないうちにオミットされているのかもしれない・・・。

 

 

 なぜなら、自民党がその手口を参考にしている「ナチス」のゲッペルスはこんな言葉を残している。
「いかにも宣伝らしい宣伝では、相手に嫌がられ素直に受け取られない。宣伝とは思わせずに、相手が気づかないうちに宣伝を行なうのがもっとも効果的に相手に届く宣伝方法だ。」


 

 

 

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ゲッペルスちゃん「国家権力の正当性とはなんぞや?。それは、国民より生まれる思想 。 人類の歴史に於ては、 実に様々な思想が出てくる。 多くの人たちが、 国民のために意義あることだ と言って公衆の前に現れる。 種々の人が来ては 去り、 浮いては沈んで行く。 然し、 その中で 後世まで人びとの記憶に残るものは殆どないと 言ってよい。   偉大なる運動は、 最初は微々たるものであるかも知れない。 そしてそれは初め個人の頭から生まれる思想である。 然しこの 個人はそれを自分で発明したものでは断じてないのだ。 国民が秘かに感じ、 心に憧れていた ものを個人が代りに言わされるに 過ぎないの だ。 国民全体が感じている不可解な衝動に、 形 を与えるだけのものである。 ナチスの若き思想 が大衆の間に入って行った際でも、 大衆はこの ことを明らかに感じていたのだ。 『それは私が 常々思っていたこと、 考えていたことなのだ。 それは私が求めていたことなのだ。 私が考え、 朧げにでも感づいていたことなのだ』国民はこう叫ぶに違いない。   かくてこそ、 この思想から自然に組織が生れてくるのだ。 組織が初めにあって、 この組織の中から思想が出て来るなどと考えるのは誤りである。

 キリスト教も一つの革命であった。 その本質は、 次の命題に於て表されていた。『 汝自身の如く、 隣人を愛せよ』 と。 神学というものは、 この命題を説明するために、 後から起っ て来たものである。 然しこの命題はキリスト教 によって、 単に宗教的なものに限られていたものではない。 これは公的及び私的生活の凡ゆる事柄に方向を与えるものとなり、 決定をなすものとなったのである。   フランス革命は、 その精神的内容を表示するために三つの標語を持った。 即ち、 自由 と、 平等 と 博愛 であっ た。 その中に民主主義が、 その根源を持ったのである。 而もこれはまたワイマール憲法の内容でもある。   現今ドイツに行われている革命的発展の認識に於て本質的なものは、 人間の事物に対する新しい関係をもたらすことである。

ヨーゼフ・ゲッベルス. 宣伝の偉力 .青磁社. Kindle 版. 」