しかし、現代では芥川の「猿蟹合戦」みたいに桃太郎が裁かれる可能性もある・・・。
「桃太郎」裁判 | 昔話法廷 | NHK for School 桃太郎は、犬猿雉を引き連れ鬼ヶ島を襲撃。鬼たちを殺傷し財産を強奪した。罪を認める桃太郎に検察官は、「凶悪すぎる犯行。情状酌量の余地はない」として死刑を求めた。 https://t.co/VzsCvstG2H
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) October 31, 2021
また、加藤智大のような人たちを嘲笑して無視する世の中になりそうなので怖いですよね。😱https://t.co/8L8ckBNtBw
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) December 1, 2020
本当に起こっちゃいましたね・・・。https://t.co/zmzyHkF4WR
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) October 31, 2021
「見ざる聞かざる言わざる」を教条とする、見て見ぬふり(人間的価値を内包しない不作為)は、不作為による作為と言えるのではなかろうか?。
思想・良心の自由でも、沈黙の自由が問題となるケースがある。
みんせーは左翼の中ではマシな方と見られてるザマスけど「謝ると死んじゃう回路」がもれなく組み込まれてるので、お仲間以外に謝罪すると爆死する仕様ザマス。フェミにもこの回路が組み込まれてるっぽいので、多分謝罪すると皆死ぬザマス(´・ω・`)
— ハッテンマイヤーさん3.14159265358979323846世 (@itutubonbora) September 27, 2021
代表的なのは、名誉棄損表現に裁判所が命じる救済としての謝罪広告である。これは、表現者が相手の名誉を害したことを認め謝罪するという内容の広告を、裁判所が発表させるものである。学説では「謝罪」を表明させるのは、「思想・良心の自由」に反するとする説が有力であるが、判例では憲法に違反しないとしている。
真実性が問題となるが、私は実像と異なるものなら謝罪すべきものだと思うが、謝罪せず、闇の投影を権力により選択の余地なく一方的に押しつけ、みなが沈黙するなら道化が生まれるのではなかろうか?と思う。
不作為による作為により、声が届かない社会では、社会に笑われる存在である道化は奴隷の反乱のような抵抗をしめしてもおかしくない・・・。
社会に声が届く存在として受け入れらた道化は、時折、みなを笑わせるため王様も風刺して笑いを生んでいたが、反国王・反社会のため死刑宣告を受け、処刑され、生け贄となったこともある。笑われる存在である道化はこのときはみなを笑っていたのではないか?と思う。