「 人が突然消える携挙という現象も一種の分岐と言えるのではなかろうか。しかし、『世界五分前仮説』のように消えた人間のことを人々が覚えているのか疑問に思う。」と書いたが、逆に、分岐した世界を経験した人間が、過去に戻ってもそのことを記憶しているのか疑問に思う。
J.S.ミルは「満足した豚であるより、不満足なソクラテスでありたい。なぜなら、愚者は物語の片面しか知らないが、賢者は両面を知っているから」と述べている。また「高級な喜びと低級な喜びを区別する方法はただ一つ。両方を経験した人が、それを好むかどうかである」とも述べている。
昨日の倫理学の授業で「幸福な奴隷と不幸な自由人のどちらが望ましいか?」という問いを投げかけたところ、7割がた前者との回答だった(理由は「政治的権利よりまず衣食住」というのがスタンダード)。聞き方の問題もあったのだろうが、その意味するところは……と一晩置いてなおつらつら考えている。
— 渡邉浩一 (@Lubitsch_Walsh) October 13, 2021
福沢諭吉は「あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるが如し」と政府を批判したが、その気質は現代も変わりない。まるで、「ミノタウロスの皿」にでてくる人間のようだ。
共産党支持者がよく「『みんな同じ』は間違っている。『みんな違う』が正しい」と主張するが、その言葉自体、言葉の意味について『みんな同じ』認識を共有していないと成立しない矛盾。
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) October 14, 2021
言葉を使うこと自体、心にもう一人の自分を生み出し、意味を共有することから始まる。
ダイヤモンド博士の『ヒトの秘密』という番組で、博士が「家畜の脳みそは野生の同じ種の脳みそと比べて小さい」と言っていたが、食客にとって政権擁護は飯の種で、生殺与奪の権を握られているのと同様だから、その他の選択肢を考えることもできず、脳みそが委縮して小さくなっていくのだろう。
五億年ボタンでも記憶を持ったまま、ボタンを押す前に戻るなら押したいと思うだろうか?。幸いなことに、人間は未来のことはわからなくても過去のことは記録があれば知ることができる。しかし、その記録さえ消去し、覚えていないなら・・・。
覚えていない、または記録をすり替えられたなら、スネ郎君みたいに16連打してしまうかもしれない。
【日本史】戦後日本は南北に分断される予定だった…!?日本分断を阻止した戦後の戦い/北海道・北方領土問題と占守島の戦い https://t.co/S94zZSdsDe @YouTubeより
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) October 17, 2021
憲法改悪阻止にはこういう次善の策、純粋な悪に対する必要悪にすぎない戦争を正しいと信じ込むオウムの信者みたいな人達に無知を