『宇宙戦争』の際、大阪の人は宇宙人のトライボットをいくつか倒したそうだ…。

(;゚д゚)すっ、凄い!。大阪の人はいったいどうやってあんなバケモノ倒したんだ!。

 

 

 だがしかし、「大阪の人が宇宙人のトライボットをいくつか倒したのは、現実の中に現された真実ではないが、虚構(映画)の中に現された真実である。」

 と言ってしまえば、真実が相対化される。

 「風はある人には冷たく感じられ、別の人にはそのように感じられないのだから、風そのものが客観的に冷たいかどうか問う意味をなさない。」という、プロタゴラスの主張が、相対主義の祖型であるが、ある人にとっては真実でも別の人には嘘となる相対主義・・・。

 

次の動画のような場面で、「イヌ子」のような天使がいたら、どう切り抜ければよいだろうか?。

 

 

 真理を何かに相対的なものとしてとらえようとする認識論的相対主義は、それ自体が「絶対主義」でなければ成立しない。

 時空の相対性を説く相対性理論でも光の速さは絶対である。

 

 

 「真理は相対的なものだ」と主張しても、その主張そのものも相対的であるなら、何を主張しているのかわからなくなる。

 

 個人の尊厳について、このような相対主義をとり、正義の相対化を主張する人間には注意が必要である。正義に従うのではなく、認識に正義を従わせ他者の尊厳を踏みにじることを肯定する場合があるからだ。

 

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イラスト 弁護士ほり

 ガリレオは望遠鏡で月を見たが望遠鏡は女性の部屋をのぞくこともできる。認識に対象を従わせても月を見るのと女性の部屋をのぞくことは違うと思う。

 これをガリレオ裁判にあてはめてみると、ガリレオは望遠鏡で天体を観測し、地動説を唱え裁判にかけられたが、女性の部屋なら別の意味で裁判かけられたと思う。

 

 

 戦争などは、認識に正義を従わせ他者の尊厳を踏みにじることを肯定する場合の、その最たるものだが、それに導く世論形成を公金で行おうというのだから日本はすでに強盗みたいな連中に乗っ取られているとしかいいようがない。

 

 

 

 

 「法律による権利・自由の保護から始まった近代民主主義でも、ソクラテスの時代同様、衣食を多く持つ者のみ法律により保護するだけで、本来の法律による権利・自由の保護から外れ道心を失っている…。そして、まるでゲームのように人を殺す。」※と述べたことあるが、ソクラテスを殺した相対主義(ソフィストのような言論)がネットではあふれ、刷り込みが頻繁になってきている。くれぐれもだまされないことを祈るばかりである。