ナチス時代のドイツ

【ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから

 

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった

私は社会民主主義ではなかったから

 

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから

 

  そして、彼らが私を攻撃したとき

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった】

 

 ナチスは「公益は私益に優先する」として、人々の自由を奪っていった。

 

 自民党時代の日本

【フェミニストが「ストライクウィッチーズ」を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私はオタクではなかったから
 
フェミニストが「戸定梨香」を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私はVTuberではなかったから・・・】
 
とはならず六万人超もの署名が集まってるそうだ。
 
声をあげる人がいなければ、禁煙化が進んだようにスポーツ紙や週刊誌からもエロは撲滅され、ポルノは淘汰されて撲滅していたかもしれない。

 
 フェミニストは「ポルノは理論、レイプは実践」と考えるので(ポルノがなくなったからといってレイプがなくなるか疑問だが)、ポルノグラフィーは禁酒法時代のアメリカのように闇市場で取引される存在になっていたかもしれない。
 
 
 芦部「憲法学Ⅱ」では、表現の自由の内容規制のうち、性表現ないし名誉棄損的表現には、『定義づけ衡量』の基準の適用を考える。
【もともとこの二つの表現行為は、刑法によって、処罰の対象の対象とされており、憲法で保障される「言論・表現」には含まれないものと考えられてきた。しかし、包括的な猥せつ概念をあらかじめ設定し、それに該当するものものを猥せつ的表現(性表現)として「言論・表現」の枠内から排除してしまうと、猥せつ概念の決め方いかん(統治機構側の人間の単なる主観または先入観で恣意的に決められるなどex.キンタマーニ島はイヤラシイなど)によっては、憲法上当然に保障されるべき表現行為が大きく制限されるおそれなしとしない。そこで猥せつ概念を表現の自由とそれに対抗する社会的価値を衡量しながら厳密にしぼって定義づけ、この定義に該当しないかぎり性表現にも憲法の保障を及ぼしてゆく必要がある。】
 と、芦部氏は述べているが、VTuberの件についても、猥せつ概念とそれに対抗する社会的価値を衡量しながら厳密にしぼって定義づけ、厳密に定義された乳揺れに憲法の保障が及ぶのか考える必要があるだろう。

 しかし、猥せつな作品といっても、、環境(場所、時間帯、性別、年齢、職業等)によって、有害であったり、有害でなかったりする。

 『表現内容の危険性を理由とする規制は、一定の場合に例外的に認められるにすぎないが、表現の時・所・方法の規制は、公権力に、より大きな行動の自由が認められる、としばしば言われてきた』が、ロザンも「公共の場でなければオッケー☆⌒d(´∀`)ノなのか?」ということを言ってるように、猥せつについては【Cの領域】と明確に区別できない。、明確に区別できない場合は緩やかに考えるべきではないだろう。
 
 
 ましてや【Cの領域】だからといって、小林氏が経験した【かつて、自衛隊の海外派兵を認める法律の合憲性について国民的大論争が展開されていた時に、私は大変不快な体験をした。私を招いてその法案に反対する集会が予定されたが、一度は公民館の使用を許可した市役所が、「そのような『一方的な政治主張』に公の会場は使わせない」と言い出したのである。他市や大学でもそのようなことが頻発した。かつてはなかったことである。】という事態が起こってよいのだろうか?。
 憲法は「人間の尊厳」の原則を中核とする実体的な価値の体系であり、また表現の自由を支える価値は、民主制の過程を基礎づけ維持するために不可欠な機能を営むという価値だけでなく、それと並んで(というよりも、その前提にあるものとして)、各個人が多様な情報を受領して自己の知見を広め、自己の人格の発展と可能性の伸長を確保するという価値から成る。

 各個人が多様な情報を受領して自己の知見を広めるという前者を「自己統治」の価値、自己の人格の発展と可能性の伸長を確保するという後者を「自己実現」の価値と呼べば、両者は密接に結び合ってともに表現の自由の保障の意義を基礎づける原則である。 これらの価値を否定することはもはや民主政の否定である。
 また、「公共の福祉」※の文言を「公益及び公の秩序」に変えた場合も同様で、権力を制限する憲法が「法律の留保」※※のように働き、民主制の過程を基礎づける価値を否定して、国民に責任だけを押しつけることを可能とする。
 
 
 

 

 
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 これに声をあげなければ、

【フェミニストが「ストライクウィッチーズ」を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私はオタクではなかったから
 
 

 フェミニストが「戸定梨香」を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私はVTuberではなかったから・・・】
 
の続きが始まることになるだろう・・・。
 

 

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ラセーヌの星 に対する画像結果