「誰かをこうしたのか考えて」急性アル中患者につきそう友人が出しがちな "オーラ" に納得の声 (msn.com)
この記事を読んで次のようなツイートをした。
新自由主義では人を目的自体として考えず、道具的理性(自分が目的)で人をみるから、自己責任で終わっちゃうんだろうね。 https://t.co/NeId52PgWP
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) April 20, 2021
でもこの事例は「豚の屠殺ごっこ」と本当に似ていると思う。
国家においては強者や多数の言うことが正しいとなると、被害者は何の救済も与えられなくなる。
「雑草という草はない」=生物学者・昭和天皇の姿―国立科博が生誕120年展 (msn.com)
昭和の発言であるが、定言命法と仮言命法もこのような見方の差異といえよう。
何らかの利害に執着する限り、人間は利害の奴隷であり、真に自由な状態ではないのだが、日本では利害に執着することを自由と思い込んでる人間が多すぎると思う。だから、仮言命法と定言命法の違いも難しく感じ理解出来ないのだろう。
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) April 9, 2021
学問の価値がわからず活かせないアホばっかりが増えて、多数決で何の正義も人間的価値を内包しない法律を制定して、法律は法律だと抵抗を力で抑えて平和とか言ってる国が衰退していくのは必然やろ?と思う。国家は強者が弱者を力で支配する場ではなく、みんなが生活する場というのがわかってないのだ。
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) April 29, 2021
このような見方の差異により、結果がどう転ぶとしても、後悔しない考えはどちらだろうか?と思う・・・。