デマ(町)山氏の記事や三春充希(はる)のような数字で人を騙そうとするペテン師、胡散臭い学者などの言葉を引用してドミニオンの不正を疑う人を小バカにする輩がネットには溢れかえっている。

 

 

 

 

 

 

 ほんま、こういう輩は司法にしても黒川氏の批判をしても、米の司法は疑わない。

 

 


 情報の真偽の判断を捻じ曲げる輩は、私の次のような記事を読んでもまったくトンチンカンなことをいってくる。

   

 この人がいう倫理は第二の自然で人間個人の自然(本質・本性的に善と呼べるもの)を否定していることからこういうことをいっている。

 それは次の主張をみてもわかる。

 

【「倫理と道徳・宮台真司的」

 

>「倫理」というのは、アプリオリに決っている善悪、神が設定するもの、物理法則などのイメージで、絶対的にこの世界にある善悪の基準といったところだろうか。一方、「道徳」というのは、周囲の人間のまなざしにより形成される善悪の基準である。

 

私 >あなたみたいな人間は宮台氏が間違っていたら、戦後の日本人みたいに軍部のせいにして騙されていたという人みたいに宮台氏に騙されていたというんでしょうが、検証もせず鵜呑みにするあなたに本当に責任はないのでしょうか?。未来は予期せぬパラメータにより、ア・ポステリオリなものですが、確定した過去には真実があります。その真実に対する推論はアブダクションと呼ばれるものですが、いくら正しいように言いつくろっても水俣病のときの学者と同じで真実と異なるものにするのは詭弁や強弁にすぎません。人間の感性の制限から可謬性の存在する具体的事物についての価値判断において新たな証拠があっても認めず、格率を持たず自律的判断判断のできない人間は何度でも騙されることでしょう。
ナチスのようないいわけをしても実際は支持していることと変わらないのですから…。

 

>カリントウさんへ

危惧することは理解します。

倫理と道徳の使い方についてですが、僕は、小学生の頃社会規範的に教えられ高校の時個人の内面の規定的に教えられて以来のものです。

僕の使い方です。
宮台さんはたまたま僕と同じような使い方をしていると感じただけです。

 

私>ゲッベルスはどんな思想を宣伝して大衆獲得を目指したかというと、「それは私が常々思っていたこと、考えていたことなのだ。それは私が求めていたことなのだ。私が考え、朧げにも感じていたことなのだ」と思わせる思想である。
https://ameblo.jp/4649-ixxc/entry-12570906097.html
実際に、これらの笑顔の人たちに、「間違っている」と真実を語ったところで、小林よしのりや日本会議のいうことを信じる人たちみたいに「違います」と反論されるだけである…。(-_-;)
https://ameblo.jp/4649-ixxc/entry-12586733742.html
 悟性(具体的事物についての価値判断)と理性(原理的価値判断・理念・命法の違い)、自律と他律の違いを日本ではきちんと教えていません。意図的と思われますが、ロックやカントの思想(基本的人権や国民主権)を理解するため、延いてはこれらの違いの理解は民主主義の弊害を除くために必要なものなのです。

以上コメント引用】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほんま野生のリスでも蛇と闘うのに、家畜化された人間が多すぎると思う。