9・11事件直後にブッシュ大統領は、「世界は米国の側に立つのか、テロリストの側に立つのか」という二者択一を国際社会に強要した。
まるで宗教改革で有名なルターを糾弾したヨハン・エックの二分法の論法そのままである。
ルターはヨハン・エックの「ローマ教会に従うか、悪魔に従うか」という二分法の術に嵌まり論戦に敗れている。
二分法で攻めてこられた場合、正義は法が適用される前に敵か味方かで決まってしまうのだ。
芥川が「正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである」というように理屈は後付けになるのである。
これは正義の女神が色眼鏡をかけ、片手に札束を握りしめ、もう一方の手には銃を握り、金持ちには(^_-)-☆ウィンクし、貧乏人にはツバをはきかけているようなものである。
以前の正義の女神は秤と剣しか持っていなかったので金の力と銃により殺害されたとしかいいようがない。
このような新しい正義の女神なら、アベ友ならレイプしても無罪、人を車でひき殺しても無罪という判決を出してもおかしくない…。(-_-;)
米国においても、新しい正義の女神が降臨したことにより、2002年1月に米国防総省が議会に提出した報告書にもあるように、核兵器が「使えない兵器」から「使える兵器」として位置付けられることになる。
さらに、 同年の9月20日に公表された「米国の国家安全保障戦略」いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」とも称される戦略において、国際法上正当性をもたない人道的介入権や先制的自衛権を盛り込む「予防戦争・先制攻撃戦略」が新しい戦略として打ち出される。
米国は、冒頭に述べた二分法により、国際法にも違反する権利を事実上の新しい国際法の基本原則として国際社会に受け入れさせようとしたのだ。
しかし、このような「はじめに結論ありき」で芥川がいうように「正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである」であるとすれば実際にどのような行動を人間はするのか?。
これは『詭弁論理学』(野崎昭弘著)にもあるような行動をするのではないだろうか?。
また、9・11のような事件を起こし、理屈をつくるのではないだろうか?。
トマス・ア・ケンビスは「誰がそう言ったかを尋ねないで、言われていることは何か、それに心を用いなさい」という言葉を残しているが、現代日本では誰が言ったかしか問題にならないのだ・・・。
(※人間の尊厳の保護と尊重という実質的法治国家の要件を備えず法の支配のない形式的法治国家いや不法国家にまで陥ってしまっているのだ。)
このような二分法も相手を目的自体として見るのではなく、自分の利益を目的とする観点からしか見ない社会ダーウィニズムのような利己主義から生じている。
社会ダーウィニズムもロックフェラーや明治の薩長藩閥政治のように利己主義的倫理説に分類されるが、金権政治が生じる原因ともいえる。
金権政治による歪みによる弊害は古代から指摘されているが、アベ政治においてはその歪みは米国の軍産複合体同様天井まで達したといえよう。
【不気味な動き】安倍政権、「地上イージス中止」を口実に「敵基地攻撃能力の必要性」を示唆!過去に安倍総理は「先に攻撃したほうが圧倒的に有利」とトンデモ狂気発言!
抑止力をお題目のように唱えブッシュ・ドクトリンのように先制攻撃戦略を言いだした安倍首相であるが、「BLACK LIVES MATTER」はまさに日本の国民の問題でもあると言えよう。
23~79に生きたローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、「人に最も多くの災いをもたらすのは人である」という言葉を残している。ゲーム理論やホッブズの「リヴァイアサン」などの本を読んでると、恐怖が人が人に最も多くの災いをもたらす原因であると感じるが、1803~1882に生きたアメリカの思想家ラルフ・ワルド・エマーソンは「恐怖は常に、無知から生まれる」という言葉を残している。
(-_-;)恐怖は無知から…。ようは臆病、ビビルマン不遇明なのである。
【彼の名前は「ビビルマン」。日本の司法のように何の役にも立たないヒーローだ!。】
「BLACK LIVES MATTER」問題でも述べたが、世界が滅びるなどという無知から生じている恐怖に負けて自分の中の最善なものを放り出さないように注意しなければならないと思う。
イラクの大量破壊兵器の宣伝のように現在日本においても安倍政権のピンチのたびに北朝鮮がミサイル打ち上げたり中国が領海侵犯してくるが、自分の中の最善なものを放り出さないように注意するのと同様に『吸血鬼狩り』のような状態になって日本にとって最善なものを放り出さないように注意しなければならないと思う。
それは、ロックが例えたように、スカンクの恐怖から遁れるために、獅子に喰われに行くようなものなのだ。
『宣伝の偉力』というのもあるかも知れないが、『オズの魔法使い』がいうように、それは自分たち自身が望んだ結果ともいえる。
伊丹万作氏は、「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」と述べているが現状まったくその通りになっている…。
「政治家にだまされた」といって殺す側に回った責任を逃れることはできないのはニュールンベルグ裁判でも明らかにされていることを知っておくべきだと思う。