安倍首相が座禅組む禅寺 中曽根元首相も在職中に通っていた

https://www.news-postseven.com/archives/20160104_374007.html

 政財界においてトップに君臨する者は、計り知れない重圧に耐えなければならない孤独な存在だ。苦しみ、悩んだ時には、何かにすがりたくもなるだろう。

 安倍晋三首相はこれまで、東京・台東区谷中にある寺院「全生庵」によく足を運んできた。幕末から明治にかけて活躍した幕臣・山岡鉄舟が、維新に殉じた人々の菩提を弔うために建立した臨済宗の禅寺である。

 同寺院の住職で『「見えないもの」を大切に生きる。』(幻冬舎刊)の著者でもある平井正修氏が、首相が来た当時を振り返る。

「安倍首相は短命に終わった第一次政権の後、月に1度いらして座禅を組むことを習慣にされていました。第二次政権発足前には、石破茂さん(現・地方創生担当大臣)と連れ立って座禅を組みにいらしたこともありますよ」

 安倍首相は現在も不定期ながら、忙しい合間をぬって座禅を組みに来るという。政策上の重要な決断を下すのは、その時なのかもしれない。

 また石破氏は安倍首相以上に座禅にはまっているようで、2015年9月に旗揚げした派閥「水月会」に所属する12人ほどの議員と共に座禅の会を開いているという。

 遡れば、中曽根康弘元首相も在職中、週に1度この全生庵で座禅を組むのを欠かさなかった。政界のみならず、著名な大企業の経営者も訪れるという。

「政治家にせよ経営者にせよ、地位の高い人の決断が周囲に与える影響は大きく、責任は重大です。それゆえ、しっかりと自分の心を整えてから決断を下したいとお考えの方が多いようです」(平井氏)

 座禅は、胡座の状態から両足を太腿の上に乗せて組む結跏趺坐(けつかふざ)が正式な形だが、それが難しい人は、片足だけを組む半跏趺坐(はんかふざ)でもいいという。安倍首相は後者のスタイルだ。

 同寺院では毎週日曜日には座禅会が開かれており、誰でも参加可能となっている。安倍首相が座禅を組んだのと同じ本堂で体験ができる(初回のみ予約が必要)。

※週刊ポスト2016年1月15・22日号

 安倍首相に利用される禅であるが、現代日本の禅者には「現前するものこそ真実」だそうだ…。だがしかし、その真実とは何か?。

 例えば、こういう場面。

 

 こういう場面で無文老師のように「すべては新しい。すべては美しい。すべては真実である。すべては光っておる」などと言い、あるがままを受け入れれば、無文老師は、第三者の目から見れば悪代官のように映ることだろう…。

 

 

 こういう場面で自分の心を見つめた時、そこに、仏心仏性、清浄心というものがあるだろうか?。無常の世界では、そういう目に見えない心は否定されるものなのだろうか?。
 「ミサイルなどで平和が脅かされている」とか「武力による平和が現実」などと吹き込み、動物的な自己保存本能を刺激して、人間的価値(尊厳)を生じさせる仏心仏性(理性)を捨て去らせることが禅の教えなのだろうか?。
 無相に存在する心は空と言えるが、空が実相である色になることもある。禅者は人を忘れたチンアナゴ※みたいに人間であることも忘れ、鳥獣争奪の道を人間のあるがままの姿だと言い、受け入れよと言うつもりなのだろうか?。

 

 ※チンアナゴ

「うちのチンアナゴたち、人を忘れ始めています・・・」コロナで休館の水族館がヘルプ!

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2004/28/news100.html