国家主義とは、言葉の通り、国家を至上の存在として考える思想である。対内的な特質としては、自由主義に対して全体主義を標榜することがあげられる。
堀潤氏「分断」テーマに映画 重要なのは“小さな主語”目線
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269002
■「経済発展のためなら少数派切り捨ては仕方ない」という風潮
――「分断」の背景には何があるのでしょう。
ベースにあるのは、経済的に発展できるのであれば、「ある程度の少数派が切り捨てられてもしょうがない」という風潮。原発事故の現場でもそうでした。まだ震災や事故から救済されていない人の声が、「エネルギーや環境問題、経済対策を考えれば原発は必要だよね」という声にかき消されてしまう。中国の一帯一路構想の現場であるカンボジアなどでは、中国資本によって土地が強制収奪されています。香港で起きている大規模デモも、逃亡犯条例に若者たちが反発していると語られがちでしたが、その実、香港に対して中国の経済的覇権が強まっていったことへの危機感が背景にありました。
――経済的な格差が大きく影響しているのですね。
より大きいのは「経済システム」かもしれない。経済的豊かさの恩恵にあずかれない人たちは、イデオロギー以前に「目の前の生活がよくなるのであれば仕方がない」と考えざるを得ない。誰だって、自らの生活を成り立たせなければいけないわけですから。しかし、その先がどうなるのか、想像力が働かなくなっているように見えます。生活が支配されてしまっていると感じます。
――映画で印象に残っているのは、堀さんが「大きい主語」を問題視していたことです。
これは僕自身が大反省しながら取材してきたポイントなんです。例えば、「震災から10年近く経過。被災地では今でも多くの方が苦しんでいます」と言ったとしましょう。すると、「堀さんよく言ってくれました。私はまだ古里に戻れず、復興住宅での暮らしなんです」「もう皆忘れちゃってるかもしれないから、どんどん言って欲しい」と拍手を送ってくれる人がいる一方、「堀さん、まだ被災地のレッテルを貼るのかい」「この10年間、どんな思いで風評被害と闘ってきたか分かるだろ」と言う人もいる。これは「被災地は」という主語が大きすぎるからなんですね。
――「被災地」とひとくくりにしても、いろいろな思いを持った人がいると。
じゃあ「福島」という主語はどうか。「福島は今も苦しんでいる」。これも違いますよね。福島には浜通りや中通り、他にも会津などがある。ひとくくりに「今も苦しんでいる」というのは誤りです。一部地域では帰還が始まっていたり、帰還が困難でも復旧復興に向かって何かしらの取り組みがあったり。一方で、先行きが見通せない地域もある。「大きな主語」を用いることは分断を招きます。
――「小さな主語」で語ることが重要であると。
例えば「○駅前で中華料理店を営んできた△さんは、震災から×年経った今も、元の場所で営業が再開できていません。夜、眠れない時があるといいます」――。こういう小さい主語で語ると、それは正しい正しくないではなく、「あ、そうなんだ」となりますよね。
――「事実」ということですね。
例えば、今蔓延している新型コロナウイルスの話なら、「中国人は」と言った瞬間に、いろんな中国の人たちを一緒くたにしてしまいますよね。逆に、「日本人はこうだ」「日本はこういう状況だ」と言われた時に、「どこの誰のことを言っているんだ」「私は違いますけど」と思わず反論したくなることもありますよね。一緒くたにしてしまうから、差別的な表現と捉えられてしまう。主語の置き方は丁寧に考えていかないといけないと思います。「香港人は」「北朝鮮人は」と大きな主語で語ることは、怖いことだと思いますね。【以上日刊ゲンダイより抜粋】
次に、国家主義の対外的な特質として、自国本位ということがあげられる。では国家主義における自国本位とはどういうものであったか?。
これは、ヒトラーの戦争の目的を見てみればよくわかる。ヒトラーは戦争の目的を、ドイツ民族のための生存圏(Lebensraum、完全な安全性が保証されている空間)の確保というが、ナチスの最高法律顧問カール・シュミットが、「政治の中核は空間の限定、つまり土地取得にこそある」と断じているように、これは二宮尊徳がいうところの鳥獣争奪の道である。