夢芝居!?八兵衛の若旦那・京(第二十三話:H1.2.20放送) 


原案:葉村彰子/脚本:芦沢俊郎/監督:山内鉄也

清太郎(五代高之)/おその(三浦リカ)/円屋清兵衛(小林昭二)/一条三位(菅貫太郎)/西京屋民造(西山辰夫)/利助(内田喜郎)/菊亭左大臣(加賀邦男)/吉香(三谷いつか)他

 若旦那になりたいと駄々をこねる八。わがままをきいてやった一行だが,京の都で出会った放蕩息子と八が意気投合。祇園でどんちゃん騒ぎ。一方,京菓子の御所御用達の看板を巡る陰謀があきらかに。京の銘菓を守るため,黄門さまが大活躍。

 

 

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

貴族制

きぞくせい

aristocracy

貴族という特定階級統治する国家形態。アリストテレス以来,国家は,一般に,君主制貴族制,民主制の3種に分類されるが,特定の1人が主権者である君主制に,2人以上のものが主権者である共和制を対峙せしめ,貴族制を共和制の一種として把握する考え方もある。アリストテレスは貴族制の堕落形態を寡頭制と呼んだ。なお,単に身分として貴族をおく制度をも貴族制と呼ぶことがあり,イギリスや旧憲法下の日本における貴族制はその例である。

 

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 日本には、選挙無しで議員になれる貴族院というものが存在した。

 だがしかし、水戸黄門に登場する貴族みたいな人ばかりだと寡頭院と呼ぶべきだろう。

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

寡頭制

かとうせい
oligarchy

一人の人間が支配する君主制や多数の人間が支配する民主制に対して,少数の人間が支配する政治形態をさす。古典古代政治思想では貴族制の逸脱形態をさしていた。 R.ミヘルスは『政党社会学』 (1911) で,いかなる民主的組織であれ大規模化するにつれて必然的に少数支配へと変質することをドイツやイタリアの社会民主党の分析から明らかにした。これを「寡頭支配の鉄則」という。ルスによれば現代の寡頭制は組織の効率的経営や大衆の政治的無関心から合理化される。彼の議論はその後のエリート理論の基礎とされた。

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世界大百科事典 第2版の解説

かとうせい【寡頭制 oligarchy】

 
ギリシア語の原義においては,単に少数者による支配を意味するにとどまるが,古典的な政体論においては,貴族制aristocracyの堕落形態として位置づけられる。この場合,すぐれた資質を持つ少数者が国全体の利益のために政治を行う貴族制に対して,少数者がみずからの利益のために支配する国政をいう。この意味における寡頭制批判は,多くの場合,金権政治に対する批判と結びついている。プラトンは,寡頭制を,財産の評価にもとづく国政であると定義する。

 

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金権政治(読み)きんけんせいじ(英語表記)plutocracy

 

翻訳|plutocracy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金権政治
きんけんせいじ
plutocracy

 
ギリシア語の訳語で,ploutos () と kratia () を合せたものであって,富豪政治または富裕階級の支配といってもよい。アリストテレスはこれを aristocracy (による政治) に対立させた (→貴族制 ) 。富める権力を握り,また富が権力を左右することは歴史上しばしばみられたことであるが,近代に入って,民主主義理念がこれに対決してきた。なお,日本では金権政治はもっと広い意味で使われている。すなわち,選挙に勝つために,あるいは党首の座の獲得や政権の維持のために莫大な資を使うことをいう。また,ときには巨大企業が経済力によって有利な政策決定をかちとることも金権政治といわれる。どちらの場合も"Money is power."の考えが背後にある。

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 こうやって読んでみると、新自由主義は金権政治そのものの寡頭制である。日本において、会社の政治献金を許せば金権政治となり、国民の参政権が犯されるとして、株主訴訟を起こした人がある。

 「八幡製鉄政治献金事件」と呼ばれるものだが、1審では原告が勝訴したが、2審では逆転。最高裁は、上告を棄却したが、いわゆる金権政治という大局的な弊害には裁判所ではなく立法府が対処すべきだと述べている。

 だがしかし、立法府が金権政治ですでに歪めろれているとすればどうして立法的解決を期待できるだろうか?。

【(追加参照)https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/275038 、https://yuruneto.com/toyotamayuko-bakuro/

 「100億人ー私達は何を食べるのか?」というドキュメンタリーの中で次のようなことが述べられている。

 「本来は基本的人権に当たるものが投資商品として扱われるようになってきています。食料へのアクセス、水へのアクセスなどは市場の売り買いの対象にされるべきものではありません」

 

 

 現代の日本において水道民営化が進められているが金権政治による基本的人権の侵害と言えるだろう。立法的解決を期待できるものではない。

 戦後間もない頃には食料管理法が存在した。これは寡頭制の弊害で、これも立法的解決が期待できるものではない。

 現代日本における政治的無関心の多くの国民は、ブタを守ってソクラテスを殺すのに協力しているようなものだと思う。お菓子なら死ぬことはないが、食料や水だと自分たちが犠牲になることを知っておくべきだと思う…。

 

 

 さらに、戦争ともなれば、間違いなく、犠牲になるのは上級国民ではなく自分たちであり、子供たちは夢を奪われることになるだろう。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」した点を日本国憲法の精神として援用した判決があるが、日本国憲法の精神を嘲笑することは、この精神を、また犠牲になった人びとの精神をも嘲笑することだと知るべきである。