手塚マンガあの日あの時+(プラス) 手塚マンガのルーツを調査せよ! 第1回:手塚治虫を自然科学に目覚めさせた1冊の本!
2019/02/27
手塚マンガのルーツを調査せよ!
第1回:手塚治虫を自然科学に目覚めさせた1冊の本!
手塚治虫は、自身が強く影響を受けたマンガや本、映画などについて、あとがきやエッセイ、対談などで、しばしば紹介している。手塚マンガ研究者にとってはありがたいことなんだけど、多くの場合、紹介された原本は現代ではなかなか簡単に手に取って読むことができないものがほとんどだ。そこで今回は、我々あの日あの時+(プラス)調査隊が皆さんに代わって原本を入手! 手塚マンガに影響を与えた3冊の幻の名著を徹底的に探ることにした。それを実際に読んで見えてきたものは!? さっそく調査開始だーーーっっっ!!
◎手塚治虫が小学生のころに夢中になった1冊の本!
第1冊目に調査する本は、1978年刊行のSFマンガ雑誌に掲載された対談で、手塚治虫が名前を挙げている、ある科学読み物の本だ。
まずはその対談を読んでみよう。対談の相手は作家の小松左京氏とマンガ家の松本零士氏である。
「手塚 当時出ていた『小学生全集』のほかに出た、全集ものを覚えてない? こどもものにも円本時代があって、小学生向けの全集ものが生まれたんだけど、大型で堅表紙のバチッとした製本で出たのがあったんだ。そのなかに『私達のからだ』(
小松 ハアー、それはおもしろいな。
手塚 いろんな部品を持ってきてロボットを作るわけだ。たとえば腎臓はソラマメをふたつ持ってきたり(笑)、いろいろ持ってきて作ってみる。そしてその本のいちばん最後に「いよいよこれで完成しました。すべて人間と同じです」。ところが動かない。生命がない、これはモヌケのカラだったということも教える。
小松 人間の体を工場に見立てて描いた島田啓三さんのマンガは見たことがある。
手塚 そういうのはあの当時わりとあったんだね。講談社の絵本にも『ミクロの決死圏』みたいのがあったし」
(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫対談集』第2巻「日本SFマンガの変遷 小松左京 松本零士」より ※初出は1978年刊『別冊奇想天外No.5 SFマンガ大全集』)
なるほど確かに人体の話題をロボット作りから語り出すっていうのはかなりユニークである。さっそく調べてみると『私達のからだ』は1939年(昭和14年)9月に新潮社から発行されたハードカバー箱入りの立派な本らしい。
我々あの日あの時+(プラス)調査隊は、あらゆる情報網を駆使して何とかこの原本を入手することに成功した!
◎手塚治虫が生物に興味を持ったころ......!!
『私達のからだ』は、大学を退官した医学博士の「三浦梅軒」という先生が、子どもたちを自宅に招いて生物と人体の仕組みについて毎回講義を行うという、オムニバスストーリー仕立ての科学読み物となっている。
著者の林髞は、木々高太郎というペンネームで推理小説も書いている作家で、本名の林髞名義では科学・生物関係の本を多数出している。
ちなみにこの本が刊行された当時の時代背景を振り返ってみると、刊行2か月前の1939年7月には、日本軍とソビエト軍が当時の満州国とモンゴルとの国境で軍事衝突(ノモンハン事件)、9月にはドイツ軍がポーランドへ侵攻、第二次世界大戦が始まっていた。だが日本国内はまだまだ平和な空気に満ちており、戦争は遠い海の向こうの出来事だった。
手塚治(手塚治虫の本名)少年は当時、大阪府立池田師範附属小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校)の5年生。昆虫採集を始めたばかりのころで、生物に対して強い興味を持っていた。
◎カエルの解剖がいきなり始まった!?
我々はさっそくこの本を読んでみた。そして結論を先に言うと、じつは手塚が対談で語っているような、人間とロボットとを比較して生物と無生物について触れている記述というものはなかった。また手塚は「マンガ入り」とも語っているが、挿し絵のみでマンガは入っていない。手塚の記憶違いか、あるいは別の本と混同していたのだろうか。ただし手塚の記憶が完全に間違っていたというわけでもない。
この本の冒頭第1編は「生物と無生物」と題し、確かに生き物と無生物との違いを具体例を挙げながら分かりやすく解説した章になっている。
その冒頭、梅軒先生は子どもたちに生きたカエルを見せてこう問いかける。
「これは、生きてゐますか。」
「生きてゐます。」
続いて先生はエンピツを示し、
「よろしい。ではこれは?」
「それは、死んだものです。」
そしてここからが驚きの展開なんだけど、先生はカエルを解剖台に貼り付けるといきなりメスでカエルの腹を割いて心臓を取り出すのだ。
「よく見てゐて下さい。この心臓を。」
「あッ、先生、心臓が動いてゐます。ピクッ、ピクッと動いてゐます。」
先生はこうしてカエルの尊い犠牲のもとに、子どもたちに生と死の違いを教えていくのだ。
そして先生の言葉はいきなり深いところへズバリと斬り込んでいく。
「皆さんには、生きてゐるものと、生きてゐないものと、何處が、どうだからといふやうに考へてわかるのではなく、見ただけで、いきなりわかる力があるのです。(中略)それがわかってから。では生きてゐるものと生きてゐないのとは、どう違ふか──といふことを研究することになるのです。その研究が學問なのです」
◎ナンデモカンデモ博士の元祖!!
この本を読み終えて思い出したのは、手塚の初期単行本『漫画大学』(1950年)と、1952年から54年にかけて雑誌『漫画少年』に連載された『漫画教室』である。この2作はいずれもナンデモカンデモ博士という漫画の専門家が、学校で学生に漫画の講義をするという形式で物語が進む。当時としてはかなり斬新な形式の漫画だったと思うが、これぞまさしく『私達のからだ』のスタイルを踏襲したものだったのだ。
また1956年から59年にかけて、手塚は学研の中学生向け学習雑誌に『漫画生物学』と『漫画天文学』という2つの科学まんがを連載する。ナンデモカンデモ博士が今度は理科の先生となり、学校を舞台に生徒たちに生物学と天文学の講義をするのだ。
『漫画大学』と『漫画教室』でまずは『私達のからだ』のスタイルのみを借りてマンガを描いた手塚は、その数年後、満を持して『私達のからだ』と同じ自然科学をテーマとしたマンガを、ナンデモカンデモ博士の講義というスタイルで描いたのである。
ということで今回の手塚マンガの原点となった本を探す旅、第1冊目はこれにて終了! 次回は、手塚先生がさらに幼いころに影響を受けた幻のマンガを探しに昭和初期へと向かいます。お楽しみに!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
夏目漱石は、蛙の腹が裂けるという表現をしている。
孫崎享氏のブロマガに、腹が裂けると表現された頃のデータが記載されている。
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私は今、「真珠湾攻撃が何故起こったか」を勉強していますが、その萌芽はすでに日露戦争での“勝利”から始まっていると思います。
日本は日露戦争で、世界の一流国のロシアと戦いました。
しかし、それは日本の国力でできない戦いでした。後、詳しく見ますが年間の予算の8倍もの戦費を使い、その8割を外国からの借金でした。一等国の「間口」を張りましたが、まだ一等国でないものが間口だけ広げたものですから、当然破綻します。
「牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」、まさに、日露戦争から真珠湾攻撃への道の本質です。
でも、何故、漱石が日本を客観的にみられたのでしょうか。
多分、漱石は日本社会の論理だけに浸っていたのでないことにあるのでないでしょうか。外国の文献に目を通しています。何よりも英国に留学(1901年から02年)し、外国人の目(視点)で日本を客観的に見ることが出来たからでないでしょうか。
逆にいうと、真珠湾にいく過程で、戦争の相手となる英米を知っている人は枢要なポストにはほとんどいませんでした。
漱石の「牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」をデータで見てみたいと思います
小野圭司氏の論文「第1 次大戦・シベリア出兵の戦費と大正期の軍事支出」に「20世紀初頭の日本と欧米列強の軍事・経済指標(単位:百万ドル)」が掲載されています。一部を抜粋します。
日本 米 英 露
GDP(1900) 1,200 18,700 9,400 8,300
(1910) 1,900 35,300 10,400 11,300
(1921) 7,200 69,600 23,100 -
(1925) 6,700 93,100 21,400 16,000
軍事支出
(1900) 70 190 670 200
(1910) 90 310 370 310
(1921) 400 1,770 1,280 400
戦うとなれば、GDPが一番重要です。継戦能力はGDPに大きく依存します。
後、海軍軍縮会議で日米の格差を、米国10に対し6としたのはけしからん、7としたのも統帥権侵害だという論がなされますが、これらの議論がいかに馬鹿げているかがわかります。
しかし、日本国内では日米は7対10でも統帥権違反と騒ぐ国になっているのです。漱石のいう間口だけかまえ、一等国、一等国、だから米国と同等でなければならないと主張しているのです。
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手塚治虫は腹が裂けた蛙について、漫画の中「そのカエル生きてたんでしょうか 死んでたんでしょうか」という疑問を提起している。
現代も国家主義が復活したため「腹が裂けるよ」と言いたくなるぐらい防衛費(実質軍事費)を増加させているが、岩崎武雄が、【いくら、国民は事実こんなみじめな生活をしているではないか、と説いたところで、国家主義者は、「いやそれでも国家のためにそのくらいのことはしかたがない」と答えるに違いありません。】と述べた通りの答えをしている。
「そのカエル生きてたんでしょうか 死んでたんでしょうか」
という問いも、国家主義者なら「生きている」と答えることだろう…。
手塚治虫が読んだ本の中にも「はい。生きてゐるものは、動きます。生きてゐないものは動きません。だからわかるのです。」
と生徒が答えているが、先生は電気時計を指さし、あれは生きているか生徒にたずねている。生徒は「いいえ、あれは生きてゐません。」と答えている。
概念の問題になってくるのだが、概念を導き出す上の本質の探求が哲学とも言えるだろう。