街で買い物の途中、信号の所で止まっていたら、いきなり大勢の人の前で、いかにも人間のクズ丸出しのチンピラみたいな輩が、人を指さして「朝鮮人、朝鮮人!」と言ってきた。

 いきなり変なわけのわからん輩にこんなことを言われて「しばきあげたろか!このボケ!」と思ったが、朝鮮人と言われて怒ったら、朝鮮の人にも失礼だと思ったので、「お前みたいなこと言ってる奴、同じ日本人として恥ずかしいわ…。お前は見かけからしておかしいやろ!」と言ってやった。
 ほんま、アベ様とその仲間たちの考えに異論を唱えるだけで、戦前の日本の「非国民」みたいに、「朝鮮人」とかチンピラみたいな輩にいきなり言われることに驚きをおぼえるが、現実にこんなこと言ってくる輩がいるから多くの人が「無思想の思想」の事なかれ主義に陥ってしまうのだろう。
 だがしかし、仕方ない面があるからと言って、理性の否定し、目を瞑る真似をしていれば、正義の女神が色眼鏡を掛け、片手に札束、片手に剣、金持ちにウインク、貧乏人にツバを吐きかける像に変わっていても気付かないことになるだろう。
 人間の個性の差異を正当化すること(みんな違うという正義・具体的妥当性)と、他者との関係における理性から導かれる共通善(みんな同じという正義・法的安定性)を混同し、真実に基づく公平・公正さの基準(みんな同じという正義)を相対化し、金や地位、武力や権威を基準にされてしまえば、魔女裁判みたいに魔女でもないのに魔女に仕立て上げられ、現在の日本のように日本人なのに朝鮮人に仕立て上げられることを皆も知っておくべきだと思う。
 グリム童話の『豚の屠殺ごっこ』のお話でもわかるように、具体的妥当性の話は法的安定性が前提にある話なのだ。