グリム童話の中に子ども達が「豚の屠殺ごっこ」をして遊ぶ話がある。
豚役の子どもは喉をナイフで刺され本当に殺されてしまう。(゚Д゚)…
Wikipediaには2つの話が紹介されている。
- 第2話
- 父親が食用のために豚を屠殺する様を見た兄弟が、父親の真似をして"屠殺ごっこ"を始め、"屠殺屋"役の兄が"豚"役の弟の喉をナイフで刺して殺してしまった。まだ赤ん坊の末子を風呂に入れていた母親は、弟の悲鳴を聞いて駆け付けると激情にかられ、弟の喉に刺さっていたナイフで兄の心臓を刺して殺した。
- 更に、そうして目を離した隙に末子が浴槽で溺れ死んでしまったのに気付き、母親は悲しみのあまり首を吊って死んだ。
- しばらくして畑仕事から戻って来た父親はこれらの惨劇を目の当たりにし、あまりの衝撃に気が狂って間もなく死んでしまった。
- 結局、その家族は誰一人生き残らなかった
(=_=;)
心理学の世界では、一人ひとりが持っている物事を捉える枠組みを「フレーム(frame)」と呼び、この枠組みを変えることを「リフレーミング(reframing)」と呼んでいます。
出典リフレーミングとは?役立つリフレーミング一覧と事例は? - 知育ノート
J( 'ー`)し「タカシ、『豚の屠殺ごっこ』第1話ではお友だちを助けるために長老がリフレーミングしたのよ」
(;゚д゚)「でもママン、殺されたお友だちの人権はどうなるの?」
J( 'ー`)し「豚の役割をさせられるような弱い人間には人権なんてないのよ」
(;゚д゚)「そうなの?」
これからの”「改憲」に向けた大規模広告”ではリフレーミングが大規模に行われてくることだろう。
彼らはそれを【歴史戦】と称してすでに行っている。
馬も人間同様に群れを作って生きる動物だ。その群れのリーダーは人間のように上司に選ばれてリーダーになるわけではなく、その行動によってリーダーと認められる。馬を調教する専門家は、野生の馬の群れの観察から学び、その群れのリーダーのマネをするところから馬を従える術を体系化して行ったそうだ。
暴れ馬を話の通じる相手にしてしまうプロは馬に対してとても敬意をもって接している。その手法の基本は野生の馬のリーダーが取る行動を人間がまねをして、リーダーとして認めてもらうというもの。そこでは馬を鞭で打ってしつけるというような事は行われていない。人間が馬に対して敬意を表し、馬も人間に対して敬意を持つという関係作りなのだ。
たとえば、馬を後ろに下がらせるためには2種類の方法がある。1つは自分の気になる物を確認しようと考えて後ろへ下がらせる方法。もうひとつは怖がらせて後ろへ仰け反るように下がらせる方法。前者は馬の主体的な動機による行動。後者はただの恐怖への反応。
人間の場合でも例えばX理論Y理論(D. マクレガー)というものがある。X理論では「人は本来仕事をしたがらないものなので、報酬と罰とで動かす」という考え方をする。Y理論では「人は自らの主体的動機(やりがい)のために仕事をする」と考える。馬を怖がらせて後ろへ下げるのはX理論、馬の主体的動機で後ろへ下げるのはY理論の考え方に当てはまる。
馬は確かにY理論に則って動き、人間をリーダーと認めてくれると走って行って一緒に障害も飛び越えてくれる。敬意ある関係が作れないと、障害を恐れて障害を越えてくれないそうだ。
アベ政治では人間をX理論で動かそうとしている。人間を馬以下扱いする政治なのだ。
タカシ君が(;゚д゚)「でもママン、殺されたお友だちの人権はどうなるの?」と質問しているが、リフレーミングにより豚の役をさせられた子どもの生きる権利が奪われたように、改憲により豚の役を強制的にまわされる国民は、天賦人権(基本的人権)を否定されることを知っておいた方がよいだろう。
そして、それが自分の家庭で起こったなら第2話のような結末を迎えるのだ。
【追記】
\(^o^)/レパードSグリム1着おめでとう!!!