生命活動は動的であり、連続的・反復的に生じており、確かに相対的なもので、「絶対と言えるものなどない」と言えなくもない。

しかし、生物が、その反復する過程において演繹的な筋道を辿らず反復した場合、どのような結果が生じるだろうか?。
以前からブログで書いてるので詳しく書かないが、A→Bの後、B→Aでなく、B→Cの結果が生じる可能性もあるという話だ。
つまりは下の写真のような結果が生じる可能性があるということだ。
 
 
 
結果本位でルールを無視すると、このハエのようになる可能性がある。実際アベ政治の「積極的平和主義」も本来の意味と正反対である。
紀元前8世紀の詩人ヘシオドスは「正義という法は人間に対してだけゼウスが定めたものであり、互いに食い合いをする魚や獣や翼をもつ鳥どもには、正義なるものは存在しない」と記すが、時代が下ると正義の相対性を説く論者たち(ソフィスト)が活躍するようになる。
結果本位を主張する連中は、果たして全体の姿が見えているのだろうか?。
目先の利益(または危険)に目がくらんで、全体の姿を理解せず【=メタ認知能力の欠如】、自分たちに都合の良いルール(または囚人のジレンマ状態)をつくるために、法の相対性を主張し、「法の支配」を否定して、「力の支配」の法治国家(=強者の利益のみを正義とする国家)を実現することが果たして正義なのだろうか?。