結果本位のアベ政治は戦前からのもので、これは特に、今でも検察官から起訴された場合、裁判所での審理の結果、有罪となる確率99パーセントという形で色濃く残っている。

これは魔女裁判と同じで、一度「有罪」というレッテルを貼られれば「魔女」と同じではがすのはほぼ不可能なことを意味している。
ここで魔女裁判のプログラムを見てみよう。
 
現代日本の新自由主義の政治同様、どちらに転んでも同じ結果にしかならないのがよくわかるだろう。裁判では魔女側に権利(主権などという傲慢な地位)などないのだから権利を持つ権力や権威のある者に忖度して「魔女であるか、否か」の結果本位の判決だけだせばよいのである。
このような政治の理念であるソクラテスを殺したトラシュマコスのような「正義とは強者の利益以外の何ものでもない」という強弁や明治政府のような「勝てば官軍」という悪を正当化する「社会ダーウィニズム」などの利己主義では、観察者の主観だけですべてが決まるのであり、客体に対する評価が真実であるか否かは問題とならないのである。
また、利己主義者のいう結果は自己の利益だけであり、そのために真実をねじ曲げることは正当化される。
魔女裁判では実際に狙いは魔女として殺した相手の財産であり、南フランスの都市を弾圧した軍司令官モンフォールなどが有名である。
また、「魔女狩り人」ホプキンズなどは、おもちゃのナイフのように突いたら引っ込む針でついて、血が出なかったから悪魔に触れられた証拠だとして、現代日本の選挙に使われるムサシのシステムと同様に、針に細工して魔女に仕立て上げているのだ。
処刑にも工夫がこらされており、火あぶりにするにしても、素直に自白した者には苦しまないように「絞殺してから火あぶりにする」という恩典が与えられるが、なかなか自白しない者や、最後に自白をひるがえすような者には「後悔の情なし」として、弱い火でゆっくり焼き殺すという責め苦が与えられた。一時間以上もかけて焼き殺された男の最後の訴えが「もっと薪をふやしてください」だったというから最悪である。
しかし、日本の特別高等警察の拷問などもこれにまけないものである。これは特別高等警察の無くなった今だに有罪確率99パーセントという数字をみてもわかるだろう。共謀罪が成立した現代、これが現実に運用されればこの数字はもっと上がってほぼ100パーセントになるだろう。
二分法とは人々や考え方などを、ある原理的な基準でふたつに分けてしまう考え方のことをいうが、この考え方の問題はすぐに「私の意見に逆らうものは、悪魔だ」と結果本位で単純に物事を決定してしまうことである。
この思考は9・11以降のアメリカでよく使われているが、この思考を分析すると、これはある事象に対する評価をふたつに分けて相手の言い分に耳に傾ける必要などないということを主張するものであり、正義の女神に象徴される「法の支配」を放棄する考え方なのである。すなわち二分法とは「力が正義」を正当化する考え方であり、だからすぐに「私の意見に逆らうものは、悪魔だ」と結果本位で単純に物事を決定してしまうのである。権威主義・金権政治・社会ダーウィニズムにより魔女裁判のように人権侵害を合理化するぐらい、今のアメリカは腐っているのだが、トランプ大統領はこんな政治を正そうと努力している。
日本のマスコミは、日本でも同じことが起こるとまずい連中に忖度してトランプ氏のことを悪くいうが、トランプ大統領は現在、「ヘドロ(=政策を金で売る連中)を掻き出す(Drain the Swamp!)」ことをやっているのであり、未来を変えようとしているのだ。
ハリー・ポッターの作者も謝罪したが、皆さんも「力の支配」を考える輩の「魔女裁判」そのものの二分法の印象操作にだまされず真実をもって判断してもらいたい。

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