【あるとき、憎らしい猫がネズミたちの町を荒らしまわり、次から次へとネズミたちを襲っては餌食にしてしまうため、ネズミたちがその対処方法について話し合っていました。ところが、何時間話し合っても妙案が浮かびません。
すると、そのとき、長老格の賢いネズミがこういいました。
「皆の者、妙案がある。問題は足音を立てずに襲ってくる、あの歩き方だ。あの恐ろしい猫がやってくるのを音でキャッチできれば、事前に逃げることも可能になる。そこでだ。小さな鈴をあの猫のクビに、リボンか何かでくくりつけてしまう、というのはどうだろう?」
この話を聞いたほかのネズミたちは、
「それは素晴らしい案だ。さすがに長老はいうことがちがう」
と、口々にほめたたえました。
しかし、一匹の若いネズミだけは、こう反論したのです。
「なるほど。長老のいうことは、たしかに妙案かもしれません。でも、いったい誰があの猫のクビに鈴をつけるんです」
若いネズミのこの一言で、長老ネズミをはじめ、その場に居合わせたネズミ全員が、
「俺は嫌だよ」「僕も嫌」「私も遠慮します」といいながら、黙り込んでしまいました。】

イソップ物語の『猫のクビにつける鈴』というお話だが、いつの時代も権力者に国民は苦しめられているのがわかる。
日本の場合、猫が人間のペットにされ、勝手に人間の手で鈴つきの首輪をつけられたという棚からぼた餅のような幸運に恵まれた。だがしかし、現代の日本は、人間が、猫の首輪を嫌がる様子を見て、首輪を外してあげようという状況になっている。
首輪を外してもらった猫は再びネズミをいたぶり餌食にする。
この物語のネズミのような国民は、再び猫のクビに鈴をつける方法を考えなければならないと思う。